[ 80年代バックパッカーの風景]

鉄道旅行の愉しみ

(その9)夜行列車(1)

日本での話ですが、(ブルートレインでない)急行の夜行列車には随分お世話になりました。中には独特の雰囲気を持つ列車があって、私にとって夜行列車に乗るというのは「旅してる感」の中に身を置くイベントでありました。典型的なのは上野発青森行きの夜行列車、例えば東北本線経由の急行「十和田」や奥羽本線まわりの急行「津軽」。当時は同じボックス席に乗り合わせた者同士会話を交わすことは珍しいことではなく、北の訛りがあちこちから聞こえてきます。大きな荷物、タバコの煙、酒やつまみの燻製の匂い、混雑する時期には通路に横になって寝る人。故郷に帰る人達の生む空気は特別なものがあって、向いに座るお姉さんの「いろいろあってクニに帰ることにしたんだ」といった話に、良くは分からぬままに相槌を打ちつつ、若かった私は夜の中を運ばれておりました。

こういったウェットな感じはヨーロッパではちょっと違うと思いますが、夜行列車が非日常的体験であることには変わりなく、窓の外を流れる遠い町の灯りを眺めていることや夜明けを迎えた野や集落の爽やかさを感じるといったことは夜行列車ならでは。さらに、宿代を浮かしつつ、眠っている間に長距離を移動する実際的なメリットに加えて、コンパートメントスタイルのヨーロッパの夜行列車では他の旅行者と仲良くなる楽しみもありました。しかし残念ながら国際列車同様、こうした夜行列車の楽しみも殆ど昔話の類になりつつあります。

 

以下、この項は私の80年代の夜行列車乗車歴、全くの個人的記録であります。(調べてみると80年代の私の夜行列車泊は全部で27回。4つに分けて最初は1982年夏の2ヶ月近くに及ぶ初の訪欧から)

 

 

1982726日   ロンドン(パディントン)(23:39)  −  ペンザンス(7:58)

ロンドンにロンドン駅はありません。ハリーポッターで「ホグワ―ツ急行」が発車するキングスクロス駅はスコットランド方面の起点。このパディントン駅はウェールズ方面です。

「ホグワ―ツ急行」についていえば、コンパートメントの造りなどヨーロッパの列車の感じが良く再現されていて、懐かしい感じがします。

059.JPGロンドン・パディントン駅(乗車前)

 

1982731日  アムステルダム(20:01)  −  コペンハーゲン(8:09)

NORD−WEST EXPRESS(『北西急行』)。 本線はロンドン始発(9:40)。 途中で私が乗ったアムステルダム起点の列車と合流して最終的には翌日夜ストックホルムに至る。

コンパートメント内、私を除いた5名は叫んだり歌いだしたりやたらと賑やかなグループ。ドコノ国カラ来タカと問うとジブラルタルと答えた。タバコを交換したりして割に仲良くやっていたが、結局はコンパートメントを出て、通路にシュラフをしいて寝る。夜中目を覚ますと列車ごと船の中であった。

 

198281日  オスロ(23:30)  −  MYRDAL(4:50)

 宿代が非常に高く国土の広い北欧では、必然的に夜行列車を多用することになる。夏休みという時期か、バックパッカー満載の混雑ぶり。デッキで3名横になるうちの一人が私であった。

 

198285日  オスロ(20:00)  −  コペンハーゲン(6:11)

 オープンスタイルの客車は、来たときの混雑ぶりが嘘のようにガラガラ。私は縦の状態でなかなか眠れないので、やはり通路に横になって寝る。

 

198286日  コペンハーゲン(21:10)  −  ケルン(8:16)

 NORD EXPRESS(北急行)。COOKの時刻表(1で紹介したものですが、今回調べて自分がこの列車に乗っていたことを知りました。

 当時の日記からこの時の空気を。カッコ内は現在の注。

 『reservationなしだったが、nonoccupiedのあるコンパートメント(ドアの脇のケースに紙片が差し込まれている)を見つける。フランス人のカップルとイギリス人の男が一緒。この男、つっかえつっかえ英語を話すからどこの国のやつだろうと思ったが英国人とは驚いた。やはり通路に出て眠る。何やらウルサクて目を覚ますと、列車はすでに船の中。やがて係員によってドアのかぎが開けられ、上のラウンジやデッキに行ける。のどがやたらと乾いており、列に並んでビール(2DM)を買う。デッキに出てイギリス人の男と話をしていると、とんでる風の(これは今や死語だ)美女が“Are you Japanese?”と声をかけてくる。この人はフィンランド人でタバコを持つポーズが様になっている。数十分で列車に戻る。やがてそのままドイツに入り、国境駅でしばらく停車。不気味な月と規則的に並んだホームの街燈が、いかにも国境駅という感じで印象的であった。』

 

1982813日  ニュールンベルグ(14日0:10)  −  ウィーン(6:30)

 これはHOLLAND-WIEN EXPRESS。昼過ぎにアムステルダムを出てきた列車。POLIZEI(警察)が大きな犬を連れて通って行った。仲良くなったオーストリア人のカップルが“grass”(ハッシッシ)を嗅ぎ分けられるように訓練されていると教えてくれた。アムステルダムは解放区のような空気があって、同地で知り合ったドイツ人バックパッカーが、アムスから直接ドイツに入る列車は警戒されていてやばいから自分はパリ経由で帰ると話していたのを思い出す。

 

1982816日 BISCHOFSHOFEN17日1:25)  −  BUCKS(7:00)

夜行列車で移動したいが、移動距離が短すぎる。こういった場合に国内でちょいちょいやっていたテクニックをヨーロッパで実行した。エツタール2017発のウイーン行きの夜行列車でいったん東に向かう。時刻表を眺めつつ0:29にザルツブルグの一つ手前のBISCHOFSHOFENで下車。一時間待って、ウィーンからやってきた列車に乗り換え朝7時にスイスとの国境駅BUCKSで下車。こういったことができるのも周遊券のメリットの一つ。多数の夜行列車がヨーロッパ大陸を縦横無尽に走っていた当時は、いくらでも組み合わせが考えられて、神出鬼没といった柔軟な旅も工夫次第という感じであった。

 

1982820日  ジュネーヴ(22:43)  −  マルセイユ(5:54)

ヨーロッパ入りして一か月以上が経過していたが、それまでは全てゲルマン系ヨーロッパ。この夜行列車でのフランス入りが初のラテン系体験なのでした。夜中の2時頃到着した駅でどやどやと乗り込んできた大量の乗客が眠っている人を起こしてまでコンパートメントに入ってくるという北ヨーロッパでは見なかった光景を目の当たりにし、すっかり度肝を抜かれておりました。

 

    夜行列車(2)  共通編の表紙に戻る  トップページに戻る