アムステルダム

(データ:1982年7月、19859月)

日本では東京駅のモデル

であることで知られるアムステルダム中央駅

朝はこの通り爽やか

 

 

◇この国、この町の2面性

オランダといえば、チューリップ、風車、酪農、いずれものどかで平和な風景の象徴である。そしてそれは、大都市を一歩出れば、確かにそこに在る。この風景と、アムスが持つ、どうしようもなく気だるい、危険な雰囲気との落差にとまどう。アムスだけでもないようで、デン・ハーグにも同様の空気を感じた。

また、このアムステルダムも朝はまったく異なる顔を持つ。オランダの朝を象徴する勤め先や学校に急ぐ自転車の流れ。彼らの締まった表情を見ていると、この人たちは昨晩はどこにいたのだろうと思ってしまう。

アンネフランクの家にしろ、レンブラントの夜警にしろアムステルダムは貴重な経験をさせてくれるが、一番の見所は、このアムスという町そのものにあると思う。

◇再び草創期「地球の歩き方」

良く出来た本だったなと思うのは、例えばこのアムステルダムに関する記述。印象的なフレーズを書き抜くと、

 

風に舞う紙くず、わびしげに明滅するネオン、インフォメーションのあたりにたむろするいかがわしげな客引きの男たち・・・

 

ちょうどひと昔前の池袋の西口・・・場末・・・

 

国籍不明のそれでいて開放された雰囲気が漂っている・・・

 

「同心円を描く、アムステルダムの運河が地獄の輪にそっくりだということに気付いておられますか?」(アルベール・カミュ)

 

若者たちが嗅ぎわけるのは、あのイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」に漂う気だるい気安さ・・・等々

 

私がこの町に滞在したのは僅か3日であったが、受けた印象は強烈であった。バックパッカー達にもまれるのは刺激的な体験であるのだが、3日目には、疲れ果てて、チーズ市で知られる近郊のアルクマールまで逃げ出して、昼寝をしてきたのでありました。

 

◇治安

日本並みに安心できたスイスのチューリッヒがおかしくなったり、今はスペインの状況がひどく悪いなど、その後の変化というものがあるが、私の経験では、この町がヨーロッパ最悪と思われた。ドミトリーで同室だったドイツ人青年は、その日実際、ナイフ強盗に遭い所持金を奪われている。また、他の同室者からは強盗を目撃したという話が出ていた。

 

 

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