[ 80年代バックパッカーの風景]

鉄道旅行の愉しみ

(その9)夜行列車(3)

 

1983年12月〜1984年2月の旅の後半です

 

1984年 1月23日  マドリッド  - グラナダ(8:00)

 スペイン2度目の夜行列車もクシェットを利用。僅か千円余の追加料金で、混み合ったコンパートメントの苦しい一夜から解放されるのは有難い。予約している者の強みで発車ぎりぎりまで駅のレストランで過ごす。チキンの料理相手にワイン2本(!)。物価の安い南欧諸国で私は当時毎日ワインを2,3本ずつ飲んでいたが、同じ店で2本とは。人目も気にならなかったようだ。

 列車は定刻に発車。既にベッドメイクされていて、すぐ横になる。翌朝列車は8時きっかりにグラナダ駅に到着。スペイン国鉄もちゃんと走るときは走るということを知った。

 

FH020002.jpg線路脇にいた羊の群れ。スペインはレールの幅が広い。

 

 

1984年 1月28日  アルヘシラス  −  コルドバ(4:00)

 モロッコと対峙するアルヘシラスでの夜行待ちはなかなかワイルドであった。外は結構寒いし、闇の中からハッシッシ売りが現れて落ち着かないので、クシェットを確保した後、バルでワインをがぶ飲みしていたところ、二十歳前位の若者が官憲に組み伏せられ連行される騒ぎがあった。コンパートメントに入ると、スペイン人の両親を持ち、アメリカ生まれで、イエメン国籍、アラブ語を含め数か国語を話し、終戦直後日本に駐留して天皇に会ったというオッサンがいて、その話を聞き流している。もう一人いたのがテトワン出身で今はマドリに住んでいるというモロッコ人で、この人がビールを勧めてくる。周りはグルで睡眠薬を飲まされる例のパターンがあるから普通ほいほい応じてはいけないのであるが、この時私はモロッコからの帰途で何でも平気になっているところがあって、大丈夫と判断して全部飲み干す。ヨーロッパの街でアラブ人と関わると警戒心がつい先に立つが、何しろこの列車は乗客の大半がアラブ人、列車はアラブの空気を運んでマドリ/パリを目指していました。

 

311.jpgジブラルタル海峡の夕景

 

1984年 2月 9日  コインブラ(17:20)  −  ボルドー(14:10)   SUD EXPRESS

 「ポルトガルへの道」で書いてしまったが、夕日を浴びつつホームで列車の入線を待っていたとき、向こうを女の人が細長い青い壺を頭に載せてゆっくり歩いて行くのが何とも印象的であった。ポルトガルはスペインに比べてもさらに田舎めいていて良かった。SUD EXPRESSは私が待っていたのと違うホームに入線してきたが、コインブラBという主要駅にして地下道といったものはなく、最後尾の通った後を回り込むように線路を横切る。(日本と違ってヨーロッパのホームは低く、一歩踏み出せばそこは線路上)。他の乗客の姿が記憶の中になく、夕日の中に停車するSUD EXPRESS、幾本かの線路と、それを横切る私自身のイメージしかない。それくらいのんびりした雰囲気であった。

 コンパートメントもがらがらで大の字になって寝て行けると期待したのは甘く、スペイン領内に入るとどやどやと大勢乗り込んできて、たちまち賑やかな声が満ちた。

 

1984年 2月10日  ボルドー(22:57)  −  パリ・オーステルリッツ駅(6:13)

 夜行連泊になるので、クシェットを予約する。68FFr(2000円弱)とスペインの1.5倍ほど。両国間はクシェットに限らずその程度の物価差は十分ある。カフェでワイン2本空けるという荒技も「先進国」フランスではもう無理。

座席車は込み合っていたが、こちらはコンパートメント内にもう一人いるだけ。今日は中段で、天井までの高さが50cm位しかない棚にどうにか体を入れる。夜中に二人の男が入ってきてベッドを使い、到着前に出て行った。タダ寝である。

 

1984年 2月16日  パリ・東駅(23:00)  −  マンハイム(7:30)

22:40発のARLBERG EXPRESS乗る積りだったが、スイスへ行くスキー客で大変な混雑振り。しかも殆どが寝台やクシェットで座席のコンパートメントは一両半分しかなく、とても乗り込む気にならない。たまたま向かいのホームに停まっていたフランクフルト/プラハ行きがすいていたので、COOKを取り出して調べる。その結果、途中マンハイムで乗り換えればそう遅れずに目的地に着くことが判明。当然予定を変更し、こちらのコンパートメントは私を含め3名で眠って行くことができた。

この例が典型的で、ヨーロッパの旅行者は時刻表を見ることはなく、まして細かく接続を調べるなんてことはしない。彼らには出発地と到着地しかなく、その結果特定の列車が混み合うことになる。狙うことはできないが、たまたま、この裏に当たれば楽な汽車旅になる。もっと単純な例では、長距離列車の始発駅が終着駅型であるとき(たいていはそう)、乗客は何両も連結された長い列車の手前からホームの先へと歩いて行くことになる。この時手前の方は混んでいても、先へ行くと大抵がらがらである。分かっているのだから行けばいいのにと思うが、彼らは細かいことを考えないのだろう。

 

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