プーリアの旅

(データ:2015年6月)

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◇プーリアへ

プーリアは、イタリアのブーツの形をしたかかとの部分になる。

 

中心都市のバーリまでローマから500km、高速列車FA「銀の矢」で4時間、ICなら6時間の移動になる。

 

北イタリアからだとかなり距離があるが、Anconaあたりから先、アドリア海の車窓風景は印象に残る。遠いといっても、列車が高速化した現在、例えば、ミラノからならば900kmの距離をFB「白い矢」は8時間で、ICでも10時間半で移動できる。

 

 

 

◇プーリアの旅

それぞれに個性のある魅力的な町が点在し、人の感じも人間味豊か。中北部イタリアの近代化、観光化から取り残された分素朴な感じが残り、旅をする喜びの大きい土地である。私としてはプーリア訪問を強力にお勧めしたいが、観光化されていない貴重さは、旅のしにくさと裏腹で、なかなか苦労させられました。

あれだけ素晴らしい小都市がいくつもありながら、日本の書店に並ぶガイドブックに出ているのは州都バーリと、世界遺産に登録された有名観光地、トゥルッリのアルベロベッロと洞窟住居のマテーラくらい。情報が無いというのは、具体的に言えば、地図を持たずに知らない町に入るということであり、どちらに向かって歩けばいいのか途方に暮れることも度々でした。今回私が歩いたいくつかの都市の情報が、誰かのお役に立てば幸いです。

 

◇どんな町があるか

 そもそも旅を始めるにあたって、目的地を決める必要があります。私の場合は、普段からヨーロッパ関係の本を読むことが多く、気になる町を少しずつ心に留めていました。それが、今回行きたかった町を一気に訪問することになった次第。今回私が訪問した都市を中心に、交通の経路別に紹介したいと思います(行っていない場所のことは分からないので)。手元に適当な地図を用意して頂ければ分かり易いと思います。(いずれにしてもこの地域は下調べが必要です。個々の都市の様子は、町情報編にて)

 

・fs(イタリア国鉄)線、バーリの北側

 アドリア海沿いに、バルレッタ ー トラー二 ー ビシェーリエ − モルフェッタ − ジョヴィナッツォ ― バーリの順。

 それぞれ数キロ間隔で並び、いずれも魅力的な町である。世界遺産のカステッロ・デル・モンテは、少し内陸部に入る。

 

・バーリから私鉄アップロ・ルカーネ線沿い。

 アルタムーラを経て、終点がマテーラ

 

・バーリから私鉄スッド・エスト線

 この線はマルティナフランカで分岐して、方や南下してターラント、もう一方は西に進んでレッチェへ、いずれも終点でfs線と合流する。

 今回私が訪れたのは、いずれも隣接駅となるチステルニーノマルティナフランカロコロトンドアルベロベッロ

 

・バーリからfs線を南下。

 小一時間ほどでオストゥーニ。その先、ギリシャへ渡るフェリーが出ることで、その昔バックパッカー達にに名の知れていた港町ブリンディシを経てバロックの町レッチェが終点。その先の移動はバスしかないが、ブーツのかかとの先端部分はさらにディープな旅が待っていそうである。

 

◇旅の準備

 ひとつは、ネットや書物で情報収集に努めること。ガイドブックは殆ど役に立たないので、「旅名人ブックス」的な、地域の紹介本がいいと思います。特に町の地図が貴重で、見つければコピーして持っていくと助かります。

 もう一つは、短時間では難しいかもしれませんが、ある程度のイタリア語会話を出来るようにしておくこと。列車やバスを降りた際、町の中心にどうやってたどり着くのか、町に入っても、i や宿はどこにあるのか、そもそもあるのかないのか等々、しょっちゅう人をつかまえて何かを訊いていました。皆大抵親切ですが、英語はかなり通じにくいので、言葉が分からなかったら苦労も倍増していただろうというのが実感。

 

◇その他プーリアワンポイント情報(旅行者物価などは別項)

・長い昼休みがある。極端な場合、午後、町はゴーストタウン状態。夕方に商店は再び店を開け、通りが人で埋まる。

iはインフォポイント、あるいはPRO-LOCOと呼ばれる場合がある。(通常のイタリア語はウッフィチョ・トゥ−リスティコ)

・バスは、まず時間通りには来ない。(乗り場や時間、チケットの買い方など聞き出すのが、また大変)

・6月の日射しはかなりきつかった。サングラスがないと目をやられます。現地の人も半数はサングラスをして歩いている。

・プーリアのパスタはオレッキエッティというショートパスタ。大量に出てきて、しかも単調ですぐに飽きる。

 

この後プーリアの町情報編に移りますが、今回、旅の終盤でデジカメを失ってしまいました。その場にいなければ撮れない印象的な光景をかなり撮っていて、非常にショック。ということでこのシリーズ写真無しです。(上の写真は92年に撮ったスッドエスト線の車窓風景。)

 

 

 

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