arletta  バルレッタ

(データ:2015年6月)

yjimage 海沿いに建つカテドラーレ

 

◇バルレッタへ

私はこの日、ローマからICに乗って、プーリアへ長距離の移動。トラー二までの切符を買っていたのだが、乗り合わせたローマの看護学校生フランチェスコが、「バルレッタの方がいい、バルレッタを拠点にしてトラー二やビシェーリエを訪問するべきだ」と力説する。彼は通路を隔てて座っていたサングラスの中年男性にも同意を求め、この人もそうだそうだと話に加わる。バルレッタという音の響きの良さに惹かれるところがあり、私はこの話に乗り、一つ手前のバルレッタで下車、一泊しました。確かに良い町であったけれど、トラー二との比較ならトラー二に軍配が上がりそう。

考えてみればバルレッタを勧めた二人の男もバルレッタで下車したのでした。イタリア人の有名なお国自慢(カンパニリズモ)を実地に体験した次第。サングラス男が、女もバルレッタの方がいいと真面目な顔で言っていたのが思い出される。

 

◇宿について

 私はフランチェスカがスマホで検索した駅近くのB&B MARCOPOLOに宿泊した。上等な部屋ではあったが、50ユーロと若干高め。bookinb.comを見てみると、旧市街周辺に30ユーロ台からB&Bがあるようだ。

 

◇カステッロ

 海に臨む要塞。一部MUSE0になっていて、数は多くないが、いい絵がいくつかあった。これはヨーロッパの町歩きの楽しみの一つですね。

 

◇ワンポイント

 カテドラーレの横のアーチを海の方に抜けたところにあるカフェの路上テーブルで飲む白ワインが良かった。カテドラーレの塔の窓のアーチが下から1、2、3と増えるリズムは見ていて心地良く、小さな女の子が補助輪付きの自転車で石畳の上を走り回るのと見比べつつ、だんだん日が暮れていきました。

 

◇(写真など)外部サイト

http://hisitnews.exblog.jp/7684306/

http://www.apuliatv.it/jp/3/Barletta/10/

◇アクセス

バーリから北、アドリア海沿いに魅力的な町がいくつか並んでいる。これらは鉄道沿いでもあり、アクセスは容易。バルレッタは、バーリから60km、このグループの一番北にある町。

 

また、バルレッタはバーリから出る私鉄Nord Barese線の終点でもある(駅はFSと同じで、奥のホーム)。こちらは内陸部を走り、途中に世界遺産カステル・デル・モンテに行くバスの起点Andriaがある。

Andriaはバルレッタからが近く、10分、2駅目。

 

◇町の作り

 駅を背に進むとすぐに小さな公園があり、その向こう側を走るガリバルディ通り(Corso Giuseppe Garibaldi)が町のメインストリート。人も車も賑やかなこの通りを右に進んでいくと、町のシンボルということらしいエラクリオの像を左に見つつ、10分ほどで右にカーブする車道と別れ、旧市街に入る。さらに道なりに直進すると白亜のカテドラーレに至る。横のアーチを抜けると港で、ヒトデ型のカステッロが海際に立っている。

 

 一方、駅の先の公園を、そのまま駅を背にする方向に歩いていくとこちらも10分ほどで町を抜け、海水浴場に出る。6月の朝から老若男女が大勢ビーチに出ていた。海岸通りから一本中に入ったCialdini通りをカテドラーレ方向に進むと、左側は教会など大きな建物、右側は洗濯物ひるがえる小路が次々に現れる。適当に歩いていくと、上の道と合流する。

 

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ガリバルディ通りの、エラクリオの像の先、旧市街に入る手前、右側にある。夕方、通りかかると開いていて、英語の堪能なおばあちゃんが、こちらの聞きたいことに全部答えてくれました。

プーリアの町は午前中と夕方から夜遅くまで賑わうが、午後はかなり長い時間人通りが途絶える。 i も午後は閉まっている可能性を考えた方がいいと思います。

 

◇自然体の旧市街

 有名観光地と違い、旧市街を歩き、憩うのは地元の人であり、閑散とする日本の地方都市との違いに考えさせられる。小広場でサッカーボールを蹴る子どもたち、ベンチで話す老人、若者のグループが大声を上げながら通り過ぎる。カテドラーレでは結婚式があり、空き缶(?)をいくつも後につけた黒い車は、現実に存在していたのでした。

 日が暮れる頃、時ならぬ教会の鐘が打ち鳴らされ、キリストの像を担ぐプロセッションが始まった。道の両側の建物のバルコニーから紙片のようなものがキリスト像の上に撒かれる。

 

 今日は、ひょんなことから、それまで名も知らなかった町を訪れ、思いもかけず、小さな祭りに出会うという良い旅となりました。フランチェスコに感謝。

 

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