2006年4月 シングルルーム料金
都市名 |
料金(ユーロ) |
BANHO |
COL. |
(クラス) コメント(詳しくは各都市のページにて) |
ローマ |
65 29 42 30 35 33 50 31 |
× × 〇 × 〇 × 〇 × |
× × × × 〇 × × × |
(☆)伊到着初日で不本意ながら妥協。真面目にやれば40位の筈。 (−)i で教わった安宿。リストではlandlordsに分類されていた。 (☆☆)やや高めだが、便利なロケーションにあり実質的。 (☆)有名安宿街FAENZA通りのペンシオーネ。35から割引。 (−)holiday
houseに分類された宿。若いスタッフが運営する。 (☆)カンポ広場から徒歩1分。掘り出し物の安宿。 (−)町で見つけた“CAMERE”表示の宿。60から割引。 (☆)オルビエートでは唯一と言って良さそうな安宿。 |
注) BANHO:シャワー、トイレ COL.:朝食
オルビエート
HOTEL POSTA
私の部屋からの眺め
洗濯物干される裏庭だが
モーロの塔を正面にする
◎ i を利用することについて
iは、草創期「歩き方」で教えられて以来の旅の道標であり、新しい町に着けば習慣の如く立ち寄るのですが、宿についてはホテルリストをもらう程度のことしかしていません。宿選びについては、値段もさることながらロケーションやたたずまい、つまり見た目の直感で気に入るかどうかが重要で、また、宿探し自体を旅の愉しみの一つと考えているので、宿をiで予約してしまうと言うのは面白くなく、自分の足で見つけて交渉、というのが私のスタイルなのでありました。
ところが、今回コルトーナやアレッツォのiは一般のホテルだけでなく民宿の類までカヴァーしていて、安宿情報を積極的に提供していました。こういった宿は路地裏にあったり、宿の表示が目立たなかったりで、自分の足だけでは限界があります。iの方針次第というところはあるのですが、今回i の使い方について再認識しました。
i の対応のいろいろ
コルトーナ:地図の裏に宿のリスト。ALBERGHI(ホテル)だけでなく貸し部屋、アグリトゥーリズム、B&B、HOSTELS、など細かく網羅。安い宿は?の求めに対して積極的に情報提供してくれた。
シエナ :地図上に経済的なホテルの位置と名を書き込んでくれた。
コッレ・ヴァル・デルサ:安い宿ならここだと示し、電話をかけて空き部屋の有無と値段を確認してくれた。
オルビエート:経済的なホテルの名をひとつ挙げた。4年前にも全く同じやりとりをした。
モンテプルチアーノ:ホテルのみ扱う。その他の宿については、「町なかで“CAMERE(部屋)”あるいは“AFFITTACAMERE”の表示を探せ」とのアドヴァイス。(これが一般的対応の仕方と思っている)
先ほど、暇つぶしにペルージャのHPを見ていたところ、ここも一泊14ユーロ程度のHOSTELを複数紹介している。こういう方針でいてくれると旅行者は助かります。
◎ペンシオーネについて
ホテルとペンシオーネの違いについてちゃんとした定義があるのかも知れませんが、ここでは感覚的な話で、私のイメージではホテルは建物全体を占めるもの。これに対してペンシオーネは建物の一部、大抵は一つのフロアにあるものと思っています。大都市では同じ建物にいくつかのペンシオーネが同居することも珍しくなく、コの字型にぐるぐる上がる階段(中心部は吹き抜けの場合もリフトが設置されている場合もある)を上りながら一つずつ当っていくことになります。午後や夜など建物の入り口が閉められている場合はインタフォンで呼べば、カチリと音がしてドアが解錠されるので押し開けて入る要領。
日本と違って便利なのが昼過ぎから部屋を使えること。キーをもらえば部屋の中は自分の空間であり、洗濯したり、昼寝したりと好きなように時間を使えます。部屋を確保するためには新しい町には午前中に到着するのが基本動作。午前中は部屋を使うことはできませんが、ザックを置かせてもらって、町を一巡りしてきます。鍵は、建物の入り口、宿の入り口、そして部屋のと最大3つ持つことになります。フロントにいちいちキーを預けるホテルに較べると出入りが気楽です。
さて、このようなペンシオーネですが、今回以下のようなことがありました。場所はフィレンツェのFAENZA通り69番。ここには4つのペンシオーネが入居していて、私が宿泊したのが3階のGIOVANNA。いくつかのペンシオーネの名になんとなく記憶があって念の為にとメモしておきました。で、帰国後過去のノートを調べたところ、22年前階下の宿NELLAに宿泊していたのでありました。22年前というと現在の年齢のちょうど半分であり、その年齢の自分が4m下で寝ていたのかと、ちょっとした感慨でありました。(フィレンツェのページの下の写真がNELLAの部屋)
さらに「歩き方」を追っかけたところ、82年版はNELLAを紹介していたが、その後の付録版(DST参加者にくばられたもの。当時はこういうものがあったのだ。)では、NELLAで断られて別の宿に行ったという投稿が載り、さらに91年版ではGIOVANNAが推薦されている一方でNELLAには泊まらぬこととの注意書きがある。シーシーシー(はいはいはい)を連発するNELLAのおばちゃんは多少うるさいにしても悪い人とは思えず、私としては思い出の宿の一つだが、一体何があったのだろうか。
以上、「地球の歩き方」の「マニアックな読み方」でした。(現在の「歩き方」は編集方針が変ってしまい、かつて69番地だけでなくあれこれ載っていたFAENZA通りの安宿は一掃されています。主観的ながら臨場感あるエピソードは過去のもので、この点に関しては現在の「歩き方」は面白くない。⇒この辺の事情は「このHPについて」へ)