フィレンツェ(2006)

 

洗礼堂(手前)とドウオモ

FAENZA通りを南に進み、大通りに出た場所で撮影

この衝撃は、視界一杯が突然ドウオモで満たされる感じ

ピンクやグリーンの独特の淡い色彩

これほど存在感のある建造物は他に思い浮かばない

 

◇観光客密度

まあ、どこに行ってもイタリアの都市は英語が飛び交っている感があるが、フィレンツェは特にひどい。英語だけでなくフランス語もドイツ語もそして近年は中国語も飛び交う人気都市である。アレッツォのリストランテで相席となったイタリア人女性が「我々はラッキーだ、いながらにして世界旅行ができる」といって笑っていたが、実感なのだと思った。

 

◇パスクワ(復活祭)

パスクワの日はバスは動かないし、レストランや店が閉まる。ひもじい思いをしたくないので、大都市なら問題ないだろうとパスクワの朝フィレンツェに出て来た。パスクワといえば3年前、その存在すら知らずしてシチリアのトラーパニを訪問し、素晴しいパスクワのプロセッションを見るという幸運を経験したが、今回も全く避難の積りで訪れたフィレンツェは“スコッピオ・デル・カッロ”というパスクワ行事を持つ町であった。ヨーロッパではクリスマスやパスクワは各家庭ですごすもので、観光客向けの行事はなかなか期待できないのである。

この行事のことも全然知らないで遭遇した訳だが、何しろドウオモ周辺人でぎっしりで進むこともままならないほどの混みよう。これを目的に訪れるにしても、場所取りなど忍耐が必要そうだ。(私は真っぴら御免) 

尚、この日のフィレンツェの市内交通であるが、バスは午後から全面運休であった。また、翌日のパスクエッタも休日扱い。両日は教会への入場なども制限されていた。

◇健在 FAENZA通り

かつてフィレンツェの並行する2本の通り、FAENZA通りとFIUME通りといえば駅裏安宿街の代表格であった。現在、駅に近い方のFIUMEの方は雰囲気が変ってしまったが、FAENZA通りはNATIONALE通りから折れるとすぐに、PENSIONE、LOCANDA、CAMEREといった安宿のサインが並び、健在ぶりにうれしくなる。通りは荷物を持った各国からの旅行者が行き交うが、バックパッキング姿が多いとはいえ、スーツケースを引っ張るガラガラという音が石畳に響くのも時代の流れか。

フィレンツェでの宿泊はFAENZA通りがよい。駅から近いし、経済的である。駅からNATIONALE通りを進んで左折する側に宿が並んでいて探しやすいが、右折する方向、つまりメディチ家礼拝堂に至る一帯にも安そうな宿がいくつか見られた。(こちらのほうが観光には便利)

私は69番のGIOVANNAに宿泊。シングル35ユーロの回答に対して30の宿を探していると告げる私をおばちゃんが引きとめ、私が何とかなんとかするからと小声で告げる。言葉が聞き取れなかったし、ちょっと曖昧な感じだったのでどうかなと思っていたのだが、翌朝20ユーロ札2枚渡すとちゃんと10ユーロ札が返ってきた。

懐かしさから他の宿の様子を窺ったりしたが、GIOVANNAもそうであったが、一度リフォームしていて全体としては以前よりは少し小奇麗になった印象。ペンシオーネのことFAENNZA通りのことについては再び宿について(2006)を見て下さい。

 

スコッピオ・デル・カッロ

直訳すると“山車の爆発”。大変な混雑でこの写真で精一杯。後で調べたところによると、午前11時にこの山車に点火されるのが祭りのクライマックスらしい。思い返せばそれは人ごみにうんざりしてベッキオ橋方面へとこの場を離れた直後のことだったようです。

(スコッピオ・デル・カッロについて ⇒

http://www.aboutflorence.com/firenze-gaido/

 

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