ギリシャについて

 

◇ギリシャへの道

やはりこのHPの原点である“草創期「地球の歩き方」”(「このHPについて」参照)の頃の昔話から始めたいのであるが、当時ユーレイルパスを握って旅するバックパッカー達の間で「ブリンディシ」の名は、ちょっとしたニュアンスを持って語られていた。ブリンディシは、ブーツの形をしたイタリア半島のかかとの部分にある港町であるが、観光的にはさしたる見所はない。しかしここからギリシャのパトラスに向けて毎日夜行のフェリーが出る。「ブリンディシに行く」ことは「ギリシャに渡る」ことであり、夕方が近づくとバックパッカーたちが続々と到着するこのイタリアの地方港の名はギリシャへのゲートウェイとして多くの旅行者の記憶に残ることになった。

※この辺の事情は詳しくは次の通り。ユーレイルパスが効く西ヨーロッパ諸国のうち、ギリシャだけは鉄路で向かうには共産圏であるユーゴスラビアを経由する必要がある。ユーゴは確かビザは要らなかったと記憶するが共産圏に入るにはそれなりの心の準備が要るし、それまで各国の列車を好き放題に乗り回してきた後とあってはユーゴ移動中の鉄道料金を払うのにも抵抗がある。そこでギリシャに向かう旅行者の多くが目指すのが、ユーレイルパスで乗船できるブリンディシーパトラス航路なのであった。この構図は現在も基本的には変っていないと思う。

 

ヨーロッパを周遊する者が経験する逡巡はローマまで南下してきた私にも訪れた。つまりギリシャを目指してブリンディシに向かうか、それともここらで引き返して中部ヨーロッパに戻るかというかなり悩ましい選択である。ギリシャがひとり離れた位置にある為、行ったら行きっ放しになってしまう。まだ西ヨーロッパに未練の残っていた私はギリシャ行きを断念。その時点ではヨーロッパを巡る機会が再びあるということは考えてもいなかったから、旅行中や帰国後しばらくは、ギリシャ神殿やらエーゲ海の島々やらは、たどり着けなかった地のイメージとして心にひっかかっていたのでありました。

 

短期間の旅行であれば、空路ギリシャ入りするのが効率的で、その後一度だけ実現した私のギリシャ行きもモスクワから飛んでいくことになったのであるが、ヨーロッパ周遊旅行の中にギリシャを組み込むならば、是非ブリンディシからのアプローチをお勧めしたいと思います。

 

 

◇ギリシャへ

@東西文化の接点

ギリシャといえばヨーロッパ文明発祥の地であり、ローマ遺跡とは明らかに異なるギリシャ遺跡がまず思い浮かぶが、ヨーロッパ好きである私からすると、ギリシャの魅力はまず第一にヨーロッパでありながら中近東が何パーセントか交じる風物の物珍しさ、エキゾチックな感じにあると思う。スペインやイタリア南部にもアラブ文化の名残がみられるが、ギリシャにおいては名残といったものではなく町の空気に純粋ヨーロッパでないものがある。

アテネの下町 

(ぱっと見た感じどこの国にいるか分からない?)

 

アテネの安宿で、日本から中国に渡った後、ユーラシア大陸を横断して陸路はるばるここまで辿りついたという日本人旅行者と同室になった。砂漠の国あり戦争をしている国ありで大変だったでしょうと言うと、何とかなりましたよとの返事。もうめちゃくちゃに物価が安いそうで、ここまでの交通費が3万円しかかかってない由。ヨーロッパを歩いてきた私の目でアテネを見ると、物が安く、雑然とした印象であるが、彼によると物価高の大変な先進国ということになる。トルコに入ったら急に環境が良くなったそうだ。東方から来た旅行者と西方から来た旅行者がベッドを並べて寝ているというのもギリシャらしい出来事であった。

 

 

Aエーゲ海

太平洋とも日本海とも異なる地中海の色が私は大好きなのであるが、エーゲ海となるとさらに独特。葡萄酒色と形容するしかないエーゲ海はギリシャ神殿にも増して見るべき価値がある。またエーゲ海の島々はそれぞれに個性的。行きたい島を決めたら、ピレエフス港からいくらでも船が出ているので、アテネ観光は早々に切り上げて出かけましょう。

 ⇒ この件、別のページに改めたいと思います。

 

 

Bギリシャの田舎へ

ギリシャ編を書くにあたり、「歩き方」やその他ガイドブックに目を通したのであるが、マケドニア地方、トラキア地方といったギリシャ北部の田舎が案外魅力的なのではないか。観光的に一般的な地域ではなく、何だか余計な苦労をしそうではあるが、乾いて痩せた土地に点在する町や村を、これまた不便とされる鉄道を乗り継いで訪ね歩くプランは心惹かれるものがある。

◎因みにCOOKの時刻表でギリシャ国鉄の掲載は何と僅かに2頁。実際には鉄道はもっと細かく走っていると思われるがが、情報量としてはこの程度である。

◎可能性はゼロに近いですが、実現した暁にはレポートします)

 

村のカフェニオン

ギリシャの田舎を旅したい(この写真はギリシャ本土ではなく、クレタ島山中の集落で停車したバスの車窓から)

 

 

◇食べ物について

ギリシャが東西文化の接点に位置することは、食べ物にもよく表れている。短いギリシャ滞在であったが、食堂に飛び込んではムサカやらタラモサラダやら聞き覚えのある料理を試してみた。残念ながら20年前の私の口には合わなかったようで、「同じ料理を東京で食べた方が余程うまい」、「ギリシャで食べたものの中で一番おいしかったのは結局スブラキアサンド(ケバブみたいなものと野菜をパンに挟む。テイクアウト用)だった」、などというもったいない感想が残っている。今食べたらどう感じるか分からないが、珍しいには違いなく、好きな人にとっては本場で食べる歓びが堪えられないものであろうと思われる。

 

飲み物も変っている。ウーゾというのは焼酎のような酒だが、透明な液体が水で割ると白く濁るのがなんとも不思議であった。ギリシャワインは、松やに入り(レツィーニ)であることに慣れないといけないが、さすがにヨーロッパワインの元祖だけあって美味しかった。

コーヒーもトルコ風のどろどろしたやつが一般的。カフェニオンで、コーヒーと注文すると店のおじさんに「グリークコーヒーかと確認された。肯くと、コーヒーカップと水を入れたグラスを運んできた。ヨーロッパのカフェやレストランで頼まなければ水は出ないことはさすがにもはや常識で、ガイドブックにかかれたりすることもなくなったが、そういえばこの国ではしばしば水が出てきた。そういえばといえばもうひとつ、普通のコーヒーのことはネスカフェと呼ばれていたと思う。企業名が普通名詞になるのは日本語でも良くあること。水もネスカフェも現在どうなっているかは不明。

 

 

◇安全について

ギリシャは安全な国、というのが私の印象。考古学博物館の展示を見るのに飽きて、荷物を預けたまま、前庭に出、芝生に大の字になって一時間ばかり昼寝。目を覚まして荷物を取りに戻ってみると、閉館時刻が過ぎてしまっていて、閉じられた門の前で途方に暮れるという失敗をしてしまったが、全体としてそういう緊迫感のない空気であった。

安全であるとはいっても、もちろん基本動作(「治安・トラブル対策」参照)を踏まえてのこと。有名なシンタグマ広場の暴力バーへの釣り込みは、私にももれなくやってきました。最近の話題で言うならば、「安部首相を応援していたんだが・・・」などといったさりげない話題から始めて油断させようとするが、話していれば必ず、「近くに自分が知っているいい店がある、一杯やりながら話そう」と切り出すので気付かない訳がない。

 

◇英語

他の南欧諸国より通じた。

 

◇ツーリストポリス

さすがは観光立国で、ツーリストポリスという制度があり、道に迷ったり、困ったりしたらお巡りさんが相談に乗ってくれる。気軽に声をかけてよいようであったし、応対も丁寧であった。

 

20年間の変化

ギリシャ編を書くにあたり、念の為に「歩き方」最新刊を本屋で立ち読みした。ぱらぱら目を通しただけだが、基本的な事柄は変化がないように思われた。一番びっくりしたのが、アテネの地下鉄の路線が三つになっていたこと。「アテネ」に書いた直角二等辺三角形の頂点の一つシンタグマ広場には今や地下鉄駅があるのであった。ここに訂正しておきます。

 

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