アテネ

(データ:1986年9月)

パルテノン神殿

 

◇ガイドブック持参の勧め

ギリシャ旅行には是非しっかりしたガイドブックを持参したい。何しろギリシャ神話にまで遡る伝説と歴史の土地である。背景を知らないと見るべきものを見てもその価値が分からない。パルテノン神殿の写真を余りに見慣れているせいでアクロポリスの丘にパルテノン神殿一つが建っているのかと思っていたら実は複数の神殿が配されているのであった。知識がないと神殿群も古代アゴラも30分経つとただの石のかたまりと化す。国立考古学博物館も日記によると「あまり面白くなく、一時間もしないうちに出てきてしまった」。猫に小判とはこのことで、折角出かけてこの有様ではやっぱりもったいない。

 

◇モナスティラキ広場周辺

前記の三つの広場では、モナスティラキ広場周辺の旧市街が面白い。全体に土色をしていて、ごちゃごちゃした下町の雰囲気。スークという言葉がぴったりくる。ギリシャはヨーロッパの外れであり、ここまでくれば何パーセントかは中近東である。なお、モナスティラキ広場もオモニア広場も地下鉄の停車駅となっている。エーゲ海の島々への出発地である外港ピレエフスまで20分。

 

◇アテネの外港ピレエフス

活気のある港町である。ピレエフスといえばかつては“映画「日曜日はダメよ」の舞台となった”という枕詞が必ずつくことになっていた。私自身見たことが無いにもかかわらず、繰り返しの効果でピレエフスと聞くと反射的にそのタイトルが浮かんでくる。

時がたてば、決まり文句もすたれてしまったようですが、ピレエフスへ行かれる方は(エーゲ海に出るなら少なくとも通ることは通る)、映画をご覧になってから出かけると印象が違ってくるかもしれません。昔の映画ですが、どこかで聴いたことのあるテーマ音楽が流れてくる筈です。

リカビドスの丘(中腹)からアクロポリスを見る

空気が黒ずみ、視界が悪いのは排ガスのせいかと思われる

観光写真では、アクロポリスの向こうに、ピレエフス、

さらにはエーゲ海が見えることになっているのだが

◇宿について

バックパッカー憧れの地のひとつであるから安宿には事欠かない。私が宿泊したのは、最初に当たった宿で、安く泊まるなら数軒となりだと教えられた“George’s Guest House”(Niki Street 46)。3ベッドのドミトリー(相部屋)で、一泊約800円。この宿は95年版「歩き方」に紹介されている。今はこれほど安くはないだろうが、このテの安宿は容易に見つかる町である。

 

◇町の把握

 シンタグマ広場が昔から名の知られる“アテネのへそ”( もここにある)であるが、これにイオニア広場、モナスティラキ広場を加えた3点、きれいな直角二等辺三角形をなすこの3点の位置関係を頭に入れると町の作りがつかみ易い。直角三角形の斜辺の長さは1kmぐらいのものであり、アテネは徒歩で十分回れるサイズである。

 

◇町の把握(その2)

 アテネは地形に特徴があって、平らな土地から突如隆起したような岩山が大小いくつかある。一番高いのがリカビドスの丘(市街地から約200mの高さ)で、一番有名なのがアクロポリス(同70m)。この2つは上記の直角二等辺3角形を挟んで対峙している。これらの位置関係が分かれば、これでアテネの骨格が完成。

 

モナスティラキ界隈

革製品などを売る屋台が並ぶ

歩く人は地元の人も旅行者もサンダル履きが多い

 

 

◇プラーカの夜

シンタグマ広場とモナスティラキ広場を結ぶ辺の南側、アクロポリス麓の斜面に広がるのが旧市街プラーカ。アテネにやってくる大勢の観光客が必ず出かける場所で、迷路状の路地は至る所活気があふれる。

プラーカは夜が楽しい。カフェもタベルナも大盛況。歩いていけば、ギターを手に10才ぐらいの子ども二人と一緒に歌う女性やら女似顔絵師やら路上のパフォーマーに出くわす。音楽や踊りをやっているらしい店もあり、ブズキ(民族音楽)が賑やかに流れる一画もあり。タベルナに入ってスブラキにワイン。ウェイターの動きが見ていて飽きない。皿を運んだりしていない時は道に出て通行人に話しかけ、客引きをし、冗談を飛ばし、さらには向かいの店のおばちゃんをからかってじっとしている時が無い。誰も彼もが芝居がかっていて、インチキっぽくて、明るく、軽く、ひたすら陽気である。店を出るとき、“バイバイ、ジャパニーズ”と肩を叩かれ送り出された。

アテネが物価が安く、かつ安全であることをいいことに、零時を回ってなお、路地から路地へと歩き、カフェをはしごし、ひとりであることも全然気にならず、プラーカの夜を堪能したのでした。

 

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