エーゲ海について

 

この項は、「ギリシャについて」の付け足しみたいなものです。

『ページを改めます』としたものの、要するに言いたいことは、葡萄酒色の海に個性的な島が散在するエーゲ海は

独特の雰囲気があり、実に訪問する価値があるという一点であり、

以下は私の個人的な体験、その他思いついたことなど書きます。

 

◇ピレエフス港が基点

アテネの外港ピレエフスへは、アテネ中心部から地下鉄で20分。駅から港の方に歩き出せば、島々に渡るフェリーのチケットを売る店が、こんなにあってよくペイするなと思う位次から次へと軒を並べている。客引きのお兄さんが声をかけてくるのがいかにも胡散臭い感じであるが、どこかでは買わないと船に乗れないので、2、3値段をあたってからチケットを入手する。当方のザック姿を見て向こうがよこすのは船室に入れないデッキクラスのチケット。私のときはクレタ島行きの夜行便が片道2千円余りであった。現在はこの2倍以上しているかもしれない。

 

◇旅のシーズン

ヨーロッパには秋や冬にも捨てがたい魅力を感じるが、エーゲ海となるとこれはさすがに夏しかないか。ただ、ピーク期は大量の旅行者観光客であふれかえり、観光のみならず移動や宿泊で苦労するので、ピークをちょっと外したいわゆるショルダーが宜しいのではないか。というようなことを考えて私は9月に訪問したのであるが、未だ泳げる陽気ながら混雑振りも落ち着いてきていて、これは正解であった。

 

◇デッキクラス体験記(1986年9月15日の日記から)

細長いタラップを上がって乗船。客室には入れず、係員がデッキに通じる通路を指し示す。デッキは3層になっていて、ひとつ上がったところに空いているベンチを見つけザックを下ろす。西日が傾いてなおじりじりと甲板を照りつけて暑い。多くの人がそうしているように、上半身裸になって2時間後の出航時刻を待つ。だんだんデッキが混んでくる。出稼ぎ帰り風のおじちゃんおばちゃんも目立つが、やはり若い旅行者が多い。車座になってぶどうをしゃぶっては皮を海に放っている3,4人のバックパッカーが僕の横にいて、こういう人達と旅をした頃のことが思い出され、その雰囲気が懐かしい。

18:30出航、ピレエフス港を後にする。こちらと同じような船が少し遅れてついてくる。アテネの方にちらっとリカビドスの丘らしきものが見えた。陸地が遠ざかって我々はエーゲ海の上にいる。手すりから海面を覗き込むと、青インクを流したような色。前後左右船が多い。やがて日が落ちる。何物にも邪魔されない完璧な落陽であった。左手に金星が輝く。軽飛行機が三つ四つ横切っていった。

夜になっても月光がデッキを照らして明るい。熱せられていた甲板もだんだん冷えてきている。風が吹き渡っていってむしろ寒いぐらいだ。数名の係員が現れローラー式にチケットをチェックしていく。彼らが去った後、シュラフを取り出して横になり、やがて眠る。

 

注)原文は、エーゲ海を渡る風の中で眠った感激さめやらず、形容語句が溢れているのを大半削除しました。デッキクラスの夜行が素晴らしい体験になるのは間違いないところですが、たとえ夏であってもシュラフは必携です。

 

何物にも邪魔されない完璧な落陽

 

エーゲ海の月光

 

 

◇エーゲ海の島について

計画を立てるのが楽しいというか、悩ましいというか、ガイドブックを眺めるとエーゲ海に多数散らばる島々は実に多様で一つ一つに個性的である。いくつも行ける訳ではないので、どれかを選ばなければいけないのであるが、相当迷うことになる。人気の島は観光客が多く、所によってはシーズン中夜な夜なパーティ騒ぎといった俗化ぶりであるらしいので、私のようなしみじみ一人旅派はそういった要素も考えなくてはいけない。

これはやめた方がいいのではないかと思われるのが、近場の三つの島を巡る「エーゲ海一日クルーズ」。これは昔から有名なやつであるが、島では船が着く時間になると、静かな島のどこからか人がわさわさ現れて、船着場に土産物を売る屋台が並び島の様子が一変する、と珍しくもこの島に宿泊して一日滞在した人の目撃談をどこかで読んだ。まあ観光立国であるから多かれ少なかれどの島でもそうしたことはあるだろうが、観光化甚だしい3つの島に慌しく運ばれるよりは、ひとつでもどこか気に入った島でのんびりしたい。

 

◇島のビーチについて

しみじみ一人旅派にとってつきあいにくいのがこれ。異国の地を訪れてそこの人や風物と出会うのが好きで旅を続け、私としてはそれはエーゲ海の島にあっても同じであるのであるが、エーゲ海に訪れる外国人の99パーセン以上は南の陽光、ビーチライフを楽しみやってくる。この浮かれ気分がなかなか自分と合わないところがある。知り合いが出来ることでもない限り、1人でビーチにいても楽しくない。大体私は「治安・トラブル対策」で書いた如くパスポートを常に肌身離さず持つので、泳いだり出来ないのだ。で、半数以上の女性がトップレスであるマリアの浜で、Tシャツ、短パン姿、カメラを手に歩く姿は我ながら居心地の悪いものがありました。かといって島にいて浜に背を向けては何をやっているのか分からず、悩ましいことです。私の場合はいつもの手で、朝、皆が眠っているうちに誰もいない浜に出て、海水に少し入り、何と豊かな海かとひとり感じ入ったものでした。

 

マリア(クレタ島)のビーチ

 

 

海で泳ぐ人は少数派で、殆どの欧米人はひたすら体を太陽に晒している。肌を晒すことに抵抗が少ないらしく、当時の日記によると「びっくりするような美人が、立派なおっぱいを揺らせながら歩いていくのに目を奪われるが、よく見れば、年に関係なく七割がたの人達がトップレスになっている。そういう世界だと、それが当たり前のような気がして、慣れれば全然平気である」そうである。エーゲ海の島となるとよくヌーディストビーチ情報の話になるが、ちょっとあれは現地の感覚と違うかもしれない。

 

 

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