[ 80年代バックパッカーの風景]

とりあえず「バックパッカー交遊録」と仮題を付けてみたものの、「交遊」は大袈裟かも知れません。

旅は出会いと別れの反復なので、中には強く印象に残るものある、その個人的記録です。

「忘れ得ぬ人々」(国木田独歩)というのもありますが、あれはまた高尚典雅というか独特の世界だからなあ。

 

SCENE 16  ラップランドにて  (1988年 6月)

 

私は、短くも印象的な白夜の旅を終え、帰国の途につくべく、Abiskoのホームで列車を待っていた。スウェーデン北部、周辺に人家のないラップランドの大自然の中の駅である。私は満ち足りた気分で、他に乗客の姿もないから、上半身裸でザックにもたれかかって日光浴していたのである。

 

予定された時間に現れたのは下り列車。一瞬自分が錯覚しているのかと思ったが、やはりこれはNarvik行き。列車がゆっくり出ていくと、ホームは再び静寂の中にある。しかし私は、何だか嫌な予感がして来て、元の気分に戻らない。夜行列車を2晩乗り継いで、2000kmも南のコペンハーゲン発のフライトに乗る予定であった。

列車は30分の遅れで入線してきて、やれやれと乗り込む。オープンスタイルのやや古いタイプの列車であった。今から思うと電気系統に何か障害があったのだろう、車内が異様に蒸し暑い。後ろの席の子供が騒ぐのが妙に苛立たしく感じられた。予感は的中してしまった。列車はAbiskoを出て暫くして動かなくなってしまったのだ。それでも最初のうちはまだ気楽であった。北辺にあって列車の便が少ないだけのことで、多少の遅れは問題ではなかった。皆と同じように車内の暑さを逃れ、線路に下りる。かなりの人たちがステップから飛び降り、その辺で座ったり、歩き回ったりしている。ラップランドの自然と線路、そして動きを止めた長大な鉄のカタマリが全てである光景を面白いなと感じる心の余裕があった。

 

 

FH030037.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

高緯度(北極圏内)のためか、

ラップランドでは雲の形も見慣れない

 

 

 

 

車掌が来て、皆を車内に戻し、順にドアを閉めていく。出るのかと思いきや、動き出す気配がない。時間が過ぎていき、だんだん本気になってきた。Kirunaで乗り継ぐ予定だったStockholm行きの夜行列車の出発時刻を過ぎているのである。昨年エジプトでトラブルに巻き込まれて帰国が一週間遅れたということもあったし、加えて帰国直後に妹の結婚式が予定されているという事情もあった。黙っているのは不安なので、スウェーデン中部の小都市から来たという若い男と話をする。二人で窓から顔を突き出していると、車掌が線路脇を歩いてきたので彼が事情をきく。何でも電気系統の故障らしい。一度、二度モーターがうなったが、それもやがて止まってしまった。

 

動く気配がないので、再び乗客らが線路に出てくる。Kirunaから飛行機に乗るという二人の老婦人を、車掌がスーツケースを持って連れていく。説明を求めるのか、自分の事情を訴えるのか、多くの人が車掌と話をしているが、感心するのはくってかかるような人がいないこと。これが日本だったら大変である。

日本にどうしても予定通り帰らなければいけないんだという話をしていたら、“Why dont you say hello to the conductor ?ときりりとした表情で私に忠告してくれる人がいた。一昨日KirunaからNarvikに向かう列車で同じコンパートメントに乗り合わせた家族の、ベレー帽が印象的なお父さんであった。そうだ、この精神を忘れていてはいかんと反省しつつ、車掌のもとへ。

 

車掌は、数名の乗客と共に先頭の機関車のところにいた。私が自分の窮状を訴えると、心配するなと言う。直る見込みはと聞くと分からないと答える。機関士も窓から顔を出して、この列車がStockholmまで行く、と言う。Timetableではそうなっていないし、現に動かないじゃないかと訴えたときの車掌の反応が格好良かった。周りにいる乗客の一人を指し、君はどこに行くんだと尋ね、Stockholmと答えると、別の人を指し同じ質問をする。何人かが口々にStockholmと答えると、私の方に向き直り、これだけの人が行くんだ、私たちが必ず皆をStockholmに届けると言いきった。

具体的なことは何もないのだが、人と人とコミュニケーションとはすごいもので、救われた気分になる。周囲の人の中に若いカップルがいて、女性がモデルもかくやと思うほどの北欧美人で先程から見とれていたのだが、この人が私と車掌とのやりとりをカメラに収めていた。

 

ラップランドのど真ん中で停止した列車である。これ以上することは無く、席に戻る。蚊が多いと聞いていたが、気付かないうちにあちこち刺されていた。さっきのスウェーデン青年と、彼がAbiskoをオビスコと発声するので、旅行者はアビスコと言ってるね、いや僕は学校ではオビスコと習ったんだ、というような気の抜けたような話をしていた。さらに時間が立った後、皆が席を立つ。事情を確認してきた彼が、列車を捨ててバスでKirunaに向かうことになったと教えてくれた。彼はさすがにスウェーデンの若者で、老婦人に手を貸したり、荷物を持ったり見事なふるまいであった。

 

線路に沿って歩いていくと鉄鉱石を積んだ貨車が停車していて、その途切れたところで線路をまたぎ、野を下る。線路に平行して道路が通っていたのが幸いした。下はその時の写真。

 

FH040017.jpg

 

 

 

 

 

 

 

貨物列車の途切れたところから下りていく

 

 

昼間に見えるがこれは夕方

この時期一日中太陽は沈まない

 

 

 

一時間ほど待つと3台の大型バスが到着、皆歓声を上げて迎える。Kiruna到着は8時。素晴らしいことに臨時のStockholm行きが仕立てられていて、車掌氏の言葉は証明された。バス3台分の乗客が、十数両連結された列車に乗り移る訳で、心配させられた分、楽な夜行になった。翌朝のビュッフェも無料サービスとなっていて、さすがは北欧の対応でありました。

 

 

関連ページ  Abisuko  Kiruna  Narvik  Stockholm

      共通編の表紙に戻る  トップページに戻る