[ 80年代バックパッカーの風景]

とりあえず「バックパッカー交遊録」と仮題を付けてみたものの、「交遊」は大袈裟かも知れません。

旅は出会いと別れの反復なので、中には強く印象に残るものある、その個人的記録です。

「忘れ得ぬ人々」(国木田独歩)というのもありますが、あれはまた高尚典雅というか独特の世界だからなあ。

 

SCENE 7  ローマにて  (1984年1月)

 

年末にヴェネツィアに入ってから、少しずつイタリア半島を南下して、永遠の都ローマに至る。列車を降りると、テルミニ駅の構内など、人の雰囲気がこれまで見てきたイタリアと違って猥雑な印象を与える。外に出るとクラクションがあちこちから聞こえて来て騒々しい。道路の横断もなかなか大変であった。女の人でも平気な顔で激しい車の流れの中に踏み込んでいくのを見て感心し、タイミングの取り方など人の動きを真似することに努める。

ローマには数日滞在する積りだったので、安くて居心地の良いペンシオーネを見つける必要があった。「歩き方」を見ると、テルミニ駅の近く、共和国広場の先が安宿街になっているようである。小雨が降っており、車に気を付けつつ急いで道路をいくつか渡る。共和国広場から一本先のパレストロ通りはペンシオーネの看板が並ぶ典型的安宿街。その中のPENSION KATTYに投宿。

このペンシオーネの印象は最初良くなかった。4人用の部屋はあまり清潔な感じではなく、大きなテーブルが置いてある中央の部屋からそれぞれの居室に入るようになっているが、そのテーブルに昼間というのに(雨は降っていたが)たむろする連中がいて、全体にだらしない感じ。宿のおばさんも喚き散らすようなしゃべり方をする。こりゃあ間違えたかなと後悔しつつ、荷物をベッドに置いて、とりあえず2泊分(14,000リラ、一泊千円程度だから安いことは安い)だけ払って、逃げるように外に出る。

 

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19841月のローマ、フォロロマーノ

冬期は観光シーズンオフで、

歴史的建造物は補修中であることが多い

 

奥の白い建物は何かと揶揄の対象になる、

ビットーリオ・エマニュエルU世記念堂

 

 

 

 

結局この宿には5泊した。常連と見えた連中は実際にはそうではなく、普通の旅行者であった。私も連夜居間の大テーブルに居ついて、アメリカ、オーストラリア、イギリスなどから来たバックパッカー達と話をしていた。どういう訳かヨーロッパ大陸内からの旅行者はいなくて、英語を母国語とする人が多かった。私はといえば、1対1の会話なら何とかなるが、大勢の中にいるとやはり半分も理解できない。ある夜、南アフリカ共和国から来た賑やかな男が“20a day in Europe(米国版「歩き方」のような本)”大推薦のトラットリアDa Pappino”が近くにあるのを見つけ、行こうと提案。数名で出掛けたのだが、特に食べながらだとますます英語が聞き取りづらくて苦しい。会話の流れがつかめないから口をはさみにくく、どうしても黙りがちになってしまう。南ア共の男とは部屋が一緒で、宿に戻った後、寝る前に少し話をした。実はこの男居間のテーブルでも、Da Pappinoでも私にだけ視線を寄越さず、無視されているようで印象が良くなかったのであるが、話してみると案外いい奴であった。

 

数日前に連泊していたフィレンツェのLocanda Nellaでも感じたが、こうしたドミトリータイプの宿の妙味は人が少しずつ入れ替わるところにあると思う。皆旅行者で動いているから、日々誰かが居なくなり、新顔が入ってきて場の空気が変わっていく。Kattyでは、先の南ア共の男の他に、同じく南アフリカ共和国から来たカップル、カリフォルニアの日系3世の女の子(見かけは日本人、話し出すと完全にアメリカン)、同じくウエストコースト出身のいかにもアメリカ娘らしい女の子、ニューヨーク・ブロンクスから来た男などが印象に残った。Kattyがある建物はほかにも複数のペンシオーネが入っており、同じ建物のそれぞれの階で、さらにはこのパレストロ通りに何十とあるそれぞれの安宿で、毎夜、いろいろな国から来た大勢の若者たちが出会い、ローマのことや旅のこと、互いの国のことなど話している訳である。                                                                                                                                                  

 

 

関連ページ  ローマ(旧) フィレンェ(旧) フィレンツェ(2006) 

イタリアの安宿については ⇒ 宿つい 宿つい(2006)

       

 

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