奇巌城
(データ:2008年4月)
何にしても一見の価値はある ◇観光地 モン・サン・ミシェルは世界遺産の代名詞であり、一回は見てみたい。実際にそれは歴史の奇跡としか言いようのない素晴らしさであった。しかし、同時に超のつく有名観光地モン・サン・ミシェルは行くのは一回でいいなというのが私の総括。参道の両側に土産物屋やレストラン、はたまたインチキ臭い博物館が並ぶのは日本の観光地もかくやと思わせる俗化ぶり。 私はレストランで思わぬ出費を強いられました。昼食は持参が無難のようです。詳しくは「トラブル事例集」に書く予定ですが、観光地というのは基本的にひとり旅に向いていないですね。 ◇僧院について 入場料8.5ユーロ。私は借りなかったが、受付でオーディオガイド(有料)を貸し出している。内部に入ってすぐのところに簡単な案内所があって、ここでもらった日本語パンフは役に立った。以下順路に従って内部を回る。個々はガイドブックに詳しいと思うのでここでは省略するが、この順回路が良く出来ていて、この僧院が特異な構造をもつ建築物であることがよく分かる仕組みになっている。 柱列廊 柱のリズムが軽妙 そこに腰かけて読書を試みたが、 ひっきりなしに通り過ぎる観光客が気になって集中できなかった |
◇アクセス COOKの時刻表で調べた時に、どうも行きにくいなという感じがあって、フォリーニーだとかポントルソンなどという乗換駅の名は昔から知っていたもののなかなか行く機会がなかった。今回初めて訪問してみて現地の様子が分かってみれば、そう敬遠することもなかったなという感じだ。もしかしたらアクセスが昔より改善しているのかも知れない。次のような方法が考えられます。 1.最寄駅ポントルソンからバス ポントルソンはフォリーニー―ドル間のローカル線上にある。本数はそう多くなく、COOKを見ながら辛抱強く接続を調べる。この辺が上の印象の元となっていた訳だが、この路線はノルマンディとブルターニュを周遊するならいずれにせよ通ることになるので、残る問題はポントルソンでのバスの時間をどう知るかとなる(下記)。 2.レンヌからバス 最も容易な方法。レンヌはパリから一時間に一本TGVが出ており、レンヌからのバスはCOOKのTABLE
264 に記載されている(一日3、4往復。所要一時間半)。今COOKで調べてみればパリからの日帰りも楽勝。時間は無いけどモン・サン・ミシェルだけはという人は、パリの宿に荷物を置いて出かけてきては。 3.サン・マロからバス これが今回の私のパターンで、かつお勧め。理由はベースとなるサン・マロがとても良い町であることと、バスが海岸線を走り眺めが良いこと。実際、かなり手前(道路標識にあと30kmとあった)でモン・サン・ミシェルを遠望します。それだけの距離があってもすぐにそれと分かる姿の発見はかなりの体験。 バスは、COOKの同じテーブルに記載されている。一日2,3本あるが、向こうで宿泊する積りでないなら朝8:40発のバスに乗ることになる。バスの表示は17番FOUGERES行き、サン・マロ駅前のA番乗り場から。このバスはポントルソンで乗り換えとなるが、MSM行きのバスはすぐに来る。帰りのバスはMSM
15:50発。 上記1で、列車でポントルソンに着く場合、サン・マロからのバスの乗り継ぎ便を利用するとよいと思います。Table264によるとサン・マロからのバスは全てポントルソン乗り換えであり、記載されているMSM到着時間の20分位前に駅(小さな駅です)にいれば乗れる筈。 ◇所要時間 僧院はじっくり回っても2時間あれば十分。バス待ちの時間は海を見て過ごそう。 ◇連絡道路から島を見る いちばん上の写真はよく観光パンフにある構図ですが、もうちょっと手前に戻ると左側が広い草原になっています。最初バスで来た時その草原に羊の群れがいてその向こうにモン・サン・ミシェルを見るという構図がなかなかよかったのですが、午後その場所に行ってみると羊の群れはいなくなっていました。写真を撮る人は午前中の方がいいかも知れない。 ◇周辺の海 馬でも逃げ遅れるという潮の満ち引きは目撃できなかったが、広大な干潟の光景は他でなかなか見ない珍しい光景であった(左写真)。 観光客は決まった場所にしか行かないから、例えばサントベール礼拝堂のあたりなど竹下通り並みに混み合うグランルーが嘘のようにひっそりしている。ぼんやり海を眺めていると、干潟の上、岩陰の向こうから人の列が現れた。ポンチョの下、素足が二本にょっきりのびて杖をつく異様な隊列をいぶかしんでいたところ、こちらに向かって進んできて「上陸」。これはガイドに連れられた干潟歩きツアーなのであった。 実は干潟に降りてみようと考えていたところだったのだが、これを見て思い直す。勝手に降りるのは禁止されているのかも知れない。少し歩いてみるくらいのことはしたが、下は粘土様であった。泥はトレッキングシューズについたまま乾き、そのまま日本に持って帰ることになった。 ←ブクル塔から干潟を見る |