ヴェズレー/アヴァロン

(データ:2005年4月)

ヴェズレーのメインストリート

丘上都市として整った姿をしており、町の外から全景を撮りたかったのだが、激しい雨で果たせず。

帰国してから改めて「中世の町‐風景‐」を見てみたのだが、そこに上と同じ場所から同じ角度で撮った写真を見つけてびっくり。30年の時を経ても町の姿は殆ど変っていません。

 

◇宿について

町の下の広場周辺に数軒。私が泊まったのは、広場に面したLe Compostelle。サンチャゴ・デ・コンポステーラのコンポステーラですね。まずまず快適。シャワー、トイレ付47ユーロが、他に客もいなさそうで40ユーロになりました。

 

◇聖マドレーヌ聖堂

中世の町並みを除けばヴェズレー最大の見所である。ロマネスク教会というのはタンパンや柱頭の彫刻を見るものらしく、ロマネスクのガイドブックが無いと魅力が半減する。私が購入したのは「フランス・ロマネスクを巡る旅」(とんぼの本)。なかなかいい本でした。

 

◇アヴァロン

さびれた感じの駅を後にして歩き始めた時、非常につまらない町でがっかりしたが、 i を目指して歩いていくと旧市街に至り、少し見直した。は旧市街の中心にある。英語を話し、かつ親切なので交通の便など詳しく聞いておく。

この町に3泊した鈴木氏によると、「アヴァロンという町、中世都市としては語るに足るほどのものでもないが、ゴロゴロするのには好適の町らしく思われ」、「食べ物が美味」く、「ふところの都合ということがなかったら、もっともっと延ばして、呑んで喰ってしばらくゴロゴロしていたかった」そうである。確かに滞在するほどに味の出そうな田舎町ではあった。

◇サンチャゴ巡礼の道の起点

4つある巡礼路の起点の一つである。4本の道はピレネーを越えたところで一本にまとまり、はるか遠くサンチャゴ・デ・コンポステーラを目指すことになる。(スペイン編、プエンテ・ラ・レイナレオンサンチャゴ・デ・コンポステーラ参照)

この中世期の壮大な熱狂は今や幻の如し、ヴェズレーは路線バスも通わぬひっそりとした町であった。丘上都市であり、下の広場から一番上の聖マドレーヌ教会まで緩やかに続く坂道が唯一のメインストリート。地図不要のサイズである。

 

◇アクセス

鈴木成高「中世の町‐風景‐」(東海大学出版会)に出てくるヴェズレー訪問記は同書の中でも印象的なエピソードである。この本の愛読者は私だけではないようで、「歩き方・ヨーロッパのいなか編(87〜88)」では、鈴木氏の前についに姿を現さなかった「幻のバス」の目撃情報が寄せられていた。

現在でも行きにくい町ヴェズレーへは、まず鉄道の通る町アヴァロンを目指す。オータンと結ぶ線であるが一日数便、しかも何便かは国鉄バスの代行運転になっていて心細い(駅員はいるが、英語不可)。パリからだと、リヨン駅7:14発のディジョン行きTGVに乗るのが効率的。途中唯一の停車駅モンバールで下車、駅前にバスが接続している(多分行き先の違うバスが3台止まっていて、3台同時に発車する。)ので、アヴァロン行きに乗れば、パリを出て2時間後にはアヴァロンに着いている。私はこの7:14発に乗り遅れ、しかも次の便は5時間後と聞かされ天を仰いだのでした。

 

次にアヴァロンからヴェズレーであるが、バスは駅前に到着するので、客待ちのタクシーがいたら乗ってしまうこと。私は路線バスの有無を確認しようと駅舎に入りましたが、再び駅頭に出たときには車も人影もありませんでした。後でアヴァロンのiに確認したところ、夏期以外ヴェズレーには路線バスは行っていない、15キロあるのでタクシーに乗るしかない、ということでした。

でタクシー屋(3軒ある)の電話番号を教えてくれるが、言葉の問題があるので、のお兄さんに頼んで取り次いでもらうとスムーズ。ヴェズレーまで22〜4ユーロ。私は旅の中でタクシーに乗ると言うことに抵抗があって、実はヨーロッパでのタクシー利用は実質的には初めてのことでした。道中、ヒッチハイクを試みるバックパッカーを一人追い抜き、少し後ろめたさを感じましたが、15キロではさすがに節を曲げるしかありませんでした。

 

アヴァロンへは他にディジョンからバスがある。ディジョンからスミュール・アン・オーソワを経由して2時間余。

アヴァロン発 6:35、12:05、17:05

  (平日3便、日曜は最終便のみの1便)

ディジョン発 7:00、11:30、18:20

  (日曜日は11:30、18:45の2便)

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