聖 地
(データ : 1990年12月)
◇サンチャゴ巡礼の道 サンチャゴ・デ・コンポステーラといえば、かのサンチャゴ巡礼の道の終着点、幾多の巡礼者の渇望の地である。中部ヨーロッパからピレネー山脈を越えて、イベリア半島北西端のこの町まで、延々千キロメートル、道中盗賊も出れば、病に倒れることもある。今年はちょっと行ってくらぁの熊さんのお伊勢詣でとは異なり、生死を覚悟したものだったはず。宗教的熱病に浮かされた無数の人々の思いの向かってゆく一点がこのカテドラルであったのです。 そのカテドラルに申し訳ないことに列車で楽々とたどり着いてしまいました。上の写真のように小さい町にあってカテドラルの威容は遠くからそれと分かります。千キロの苦難に耐えてたどり着いた巡礼者が峠に立って、カテドラルを始めて目にした時の喜びは相当なものだったと思われます。 尚、私は91年の新年をこの町で迎えました。新年のミサを覗いてみたところ、参列者は殆どが中高年、しかも広い堂内の前方にパラパラといる程度の数で、万人の参列にも耐える見事な賛美歌やパイプオルガンの演奏がもったいない感じでした。熱病はとっくに去っていたのでした。 ◇カテドラル 右の写真がカテドラル正面。オブライドロ広場に立ち、初めてカテドラルの威容と向かい合ったとき、キリスト教寺院という感じがあまりせず、むしろアンコールワット遺跡(写真でしか見たことがありませんが)を連想しました。ガウディのサクラダ・ファミリアも人を圧倒するところがありますが、一定の様式の中でディテールを積み重ねている迫力には敵わない。天才も歴史を凌ぐのは難しいようです。 内部はうんざりするほどの装飾で、見学ポイントも多く、辟易としますが、その中で、祈りのために巡礼者が手を置いた中央の柱には成る程、指の位置のままに5つの窪みがあり、ここでも歴史の重みを感じました。 |
◇アクセス 列車からの車窓風景がいい。豊かな緑におおわれた緩やかな起伏に民家や集落が散在する。野にロープを張ってシーツや衣類を干しているのを見ると平和で保守的な生活が思われる。また、サンチャゴ−ビーゴ間では海沿いに走る区間があり、変化に富んだ海岸線の景色が楽しめる(因みに“リアス式海岸”という言葉の語源はこの海岸)。入り江に浮かぶ小島のてっぺんに決まって石の十字架があって、信仰心の篤さに感嘆したものでした。 さて、列車がサンチャゴに近づくと、カテドラルの威容が目に飛び込んできて直ぐにそれと分かります。 ◇宿について 駅は例によって町の外にあり、カテドラルの塔を目印に歩いていくことになるが、そう遠い感じはせず、さらに道々HOSTALが次から次へと現れるので、宿探しもここで出来る。さすがに中世より大量の旅行者を受け入れてきた町であって、宿は豊富。値段も良心的。何より庶民的な門前町の雰囲気がいい。一階にレストランを併設している宿でフルペンションにするのも良いと思う。 |