[ 80年代バックパッカーの風景]

鉄道旅行の愉しみ

 

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私は列車を利用する旅が好きである。高校生のころからあちこち出掛けていたから、10代の終わりには足を踏み入れていない県は沖縄県だけ、という状態になっていた。その沖縄に30年経った今でも行ったことが無いというのは、多分鉄道が通っていなくて旅のイメージが湧かないせいだと思う。私は、列車に乗ること自体を目的とする近頃のいわゆる「乗り鉄」ではないけれども、列車に乗るのは好きなのである。

 

ヨーロッパの旅も鉄道と共にあった。地中海諸国など鉄道は不便な面があり、バス網の方が余程発達していたりするのであるが、ユーレイルパスを握ってヨーロッパを歩くというスタイルでやって来たので大抵は鉄道にお世話になっていたのである。

 

ところが現在のTHOMAS COOKの時刻表を眺めると、80年代との変化は日本ほどで無いにしろやはりある。日本のようにかつて存在したローカル線があれもこれもなくなったということはあまりないようであるが、ヨーロッパでは高速鉄道網の伸長の影響が大きかった。従来線の本数が減らされたのは仕方ないとして、かつて何本も複数の国を走り抜ける国際列車が走っていたのが、現在ほぼ壊滅状態になっているのとても残念である。当「鉄道旅行の愉しみ」では80年代の鉄道旅行の様子など覚えていることを書き並べます。

 

 

 

(その1) 駅の様子

中央駅という言い方が大都市にはあって、こういった駅は駅舎も立派であり、設備もそれなりに整っていたりする。このことを当時の「歩き方」では「困ったら駅に行こう」という合言葉で表現していた。トイレ、ツーリストインフォメーション( i )、売店、カフェ、両替所、荷物預かり、公衆電話等々旅行者がお世話になる設備があるし、また他のバックパッカー達がいて情報源となってくれるといったこともある。実際には、いつでもこういった設備が使える訳ではないのだけれども、到着した町の原点として、次の町への出発の場所として、駅には安心感のようなものを感じてしまうのである。

 

 

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右の写真は、フランクフルト中央駅(88年)。 中央駅は、COOK時刻表での略称はCS(Central Station)が普通だが、ドイツなどではHbf(ハウプト・バーンホフとか言っていたな)という表記。大きな駅はこのような終着駅スタイルが多く、かまぼこ型の屋根はなかなか重厚感がある。

 

日本の駅との違いでは次のようなことが良く言われていた。

@イギリスを除いて、改札口がない。つまり切符を持たずともホームに行ける。(そのまま列車に乗り込むこともできるが、見つかった場合の罰金は高額)

Aホームが低い。だから列車に乗り込むときの段差が大きい。(長距離列車などで、年配の人の大荷物の上げ下ろしを手伝ってあげることは近くにいる人の義務)

B構内アナウンスや発車のベルがなく、音もなく列車は出ていく。(現在は、構内アナウンスについては、少なくとも南欧はそうでもない。イタリアなど“何時何分の列車は何番線に変わったから注意しろ”などといったアナウンスが繰り返されてやかましいくらいだ。)

 

 

2006トスカーナ 032.jpg左の写真はAREZZOのホーム(06年)。左端に駅名表示が見える。“binario5”は「5番線」のこと。こういった旅行基礎単語は国によって違うのであるが、旅をしているうちに自然に覚えていく。

 

ところで駅構内に見られる表示は、80年代は各国統一の図案があったと思う。典型的なのは入口と出口のマーク。正方形の一辺の中ほどを取って、そこに矢印を内向き、外向きに書き加えたもので、分かりやすく、良くできていた。(一番上の写真の左上に見える四角にスーツケースのマークもその一例で、これは手荷物預かり所を表している)

また、駅構内に張り出される時刻表も、出発は黄色の紙、到着は白の紙という統一があった。ただこれらについては、万事おおらかな南欧諸国ではいろいろな表示の仕方がされていたと思う。

 

 

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