[ 80年代バックパッカーの風景]

とりあえず「バックパッカー交遊録」と仮題を付けてみたものの、「交遊」は大袈裟かも知れません。

旅は出会いと別れの反復なので、中には強く印象に残るものある、その個人的記録です。

「忘れ得ぬ人々」(国木田独歩)というのもありますが、あれはまた高尚典雅というか独特の世界だからなあ。

 

SCENE 2  フロムにて  (1982年8月)

 

ソグネフィヨルドの枝のまた枝、外海から百キロは入った最深部のどん詰まりにフロムはある。私は早朝の列車でこの地に降り立ち、両岸に岩壁の迫り来る、思い描いていた通りのフィヨルドの絶景に感動し、水の際まで下りていって腰を下ろしていた。同じ列車に乗っていた人たちが接続するフィヨルド観光のフェリーで出て行ってしまえば、周辺は静寂そのもの。動きといえば、時折、魚が跳ねて水面を乱すくらいのもので、最初岩の上部にだけ当たっていた朝日が、だんだん下に降りてくるのを、飽きもせず眺めていたのである。

 

フロム鉄道の終着点、そしてフィヨルド観光の起点として、観光的知名度の高いフロムであるが、村というより集落といった程度の規模。ここにバックパッカーに知られたSVINGEN  HERBERGEというドミトリー形式のペンションがあって、昼になって宿泊手続きに出向く。2泊分で60kr。物価高の北欧で、その辺の安ホテルの一泊分より安い宿泊料金は有難い。ペンション(安宿)といってもさすがは北欧のことで、数台置かれた2段ベッドも部屋の床や壁も木組みで、とても清潔な感じである。ノルウェーのこの地に来るのに30時間、夜行列車2晩の乗り継ぎであったから、シャワーを浴びてさっぱりする。昼間の他に誰もいない部屋で荷物の整理などしていた。

 

091.jpg 日光が斜めに射し込む朝のフロム

 

自分の精神状態に異変が起きたのは、部屋に二人連れのアメリカ娘が入ってきた時からであった。最初は、なんだ、男女別ではなかったのかと驚いただけであったが、大きな荷物をしょって入ってきた二人のがさつな話し方や振る舞いが3人しかいない部屋に満ちると、どんどん気持ちがおかしくなっていった。多分夜行2連泊の疲れと、朝方の感動の反動みたいなものだったのだろう。アメリカ娘はすぐに出て行ったが、気持ちの方は自分のことでありながら、コントロールできなくなっていた。部屋にいると気が狂いそうだったので、散歩に出てみるが、朝3時間も飽きずに眺めた同じ景色が、午後の光の中で凡庸に見える。何をしても息苦しく、こんなことは初めてのことで私はまったくうろたえていた。帰国まで一か月以上残しているのに、この先やって行けるだろうかと、絶望的な気分に陥っていた。

 

私を救ってくれたのもバックパッカーとの出会いという状況であった。部屋に戻ってベッドでうつらうつらしていたところに入ってきたのが、米国人カップル。ワシントンから来たという、美男美女であった。互いの国のことや、回ってきた足取りや互いの国のことなど話しているうちに仲良くなり、散歩に出ようという話になる。歩いていて、自分が、元の自分に戻っていることに気付く。こうなってみると、さっきの状態が何でああであったのか理解できない程であった。

 

翌日フェリーに乗船してフィヨルド観光に出かける。フェリーの終着点Gudvangerに着いて、バスの乗り場が見当たらず、3人連れのバックパッカーをつかまえて尋ねた。ベルギーから来たという彼らはとてもフレンドリーで、あれやこれや教えてくれ、また彼らも知りたいことをいくつか私に尋ね、やがて笑顔でGood luck !と去っていく。『悩む前に声をかけることだなと思う』とはこの時の旅日記に残る感想である。

 

(その後もいくつかのバックパッカーとの出会いをしてきた私の実感では、男女問わずひとり旅というのはスタイルが同じであるためか、仲良くなり易く、短時間にせよ行動を共にすることが多かった。男女カップルというのは、バックパッカーの主要パターンの一つであるが、概してフレンドリーで仲良くなる。これらに対して同性の2、3人連れというのは、話しをしてもその場限りということが多かった。特に女の子のグループとは短時間にせよ行動を共にした記憶はなく、特にアメリカ娘となると人種が違うかのようであった。なお、4人以上のグループというのはバックパッカーとしては希少種。)

 

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