破壊と復興
(データ:2011年3月)
この町はかつてエルベ川のフィレンツェと呼ばれたそうである その美しい町が第二次大戦末期の連合軍による徹底的な空爆で破壊された。 その後復興作業が続けられ、その象徴たるフラウエン教会復元が2005年に完了。 この町では、復興にかけるドイツ民族の執念を感じさせられます。 君主の行列 ◇ドレスデン空爆 連合国側の勝利が既成事実となっていた段階で、つまり戦略上の意味の無い状況で、主としてイギリス空軍による徹底した無差別爆撃が行われた。それがこの美しい町をスターリン(戦争終結後の「東側」)に渡さないことが目的であったというのだから暗然たる気分になる。ものの本によるとこの空爆にはきわめて非人道的な手法がとられ、極めて短時間のうちに信じ難いような地獄絵図の中で、ひとつの中世都市と驚くべき数の市民の命が消滅したようである。 私は訪問するまで殆ど無知であったが、戦争トラウマを持っていると思われるロジャー・ウォタ―ズ(ピンクフロイド)の曲に、ドレスデン上空を覆う爆撃機を彷彿とさせるものがあって、ああこれを訴えていたのかと思ったことでした。 ◇フラウエン教会 しかしそのドレスデンはドイツ民族の執念により蘇る。その象徴たる建造物がフラウエン教会。ごく近年まで現場には空爆されたときのままに瓦礫の山が放置されていたのが、最後の大仕事とばかりに、石の釣り鐘と称された往年の姿が蘇った。 元の位置の確定できた石とそうでない石がある為と思われるが、ぱっと見た目マダラ模様に見える。美醜を超えたものがそこに存在しているということなのでしょう。 ◇参考図書 「ドレスデンの落日と復活 精神科医が見た東ドイツ終焉前夜」 三修社(2006) 船津邦比古 タイトル通り「前」と「後」の様子、その違いがよく分かる。体験談として貴重。 「ドレスデン逍遥 華麗な文化都市の破壊と再生の物語」川口マーン惠美 ドレスデン空襲、アウグスト強王のエピソード、聖母教会の奇跡的復興などドレスデンのポイントを押さえている。訪問予定者必読。 ◇外部サイト http://www3.ocn.ne.jp/~elbe/index.htm 観光面に限らず、幅広くドレスデンを紹介している。 |
◇アクセス 主なものとしては、ベルリンから2時間に一本、所要2時間余。ドイツの鉄道網は侮りがたく、他にも様々なアクセスがある。 ◇ドレスデン訪問のヒント(その1) まずは、旧市街、エルベ河畔に立つこと。これが復元されたものとは信じられない程の華麗な建造物群に圧倒されます。左の写真は、その一画にある、これは無事であったらしいマイセン磁器のタイルからなる壮麗な壁画。 ◇ドレスデン訪問のヒント(その2) エルベ河を渡った新市街(ノイシュタット地区)が、私は行かなかったが、かなり良さそうに思われた。一つの頂点を持つ緩やかな丘になっていて、それ自体思わず足を向けたくなる感じであるし、向こう側から旧市街を見るのも良さそうだ。なお、マイセンに向かう列車が中央駅を出てノイシュタット駅に着く手前でエルベ川を渡るが、鉄橋から見る旧市街の建築群の光景も良かった。 ◇ホステル City-Herberge 「歩き方」が珍しくホステルを紹介していて、私はこれに宿泊。中央駅から1km余あるが、旧市街側であるのでロスはそう大きくない。シャワートイレ共同のシングルルーム34ユーロ。近代的な設備で、部屋もきれいであった。 ◇プラハへ(体験記) プラハはドレスデンから200km足らずとかなり近い。直通列車が2時間おきに出ていて2時間20分ほど。この両者は「百塔の町」つながりですね。 私は直通列車でなく、ローカル線で国境を越えてみました。早朝6時Sバーンでドレスデン発。「ザクセンのスイス」も近い山岳地帯を左にエルベ川を見ながら走る。朝もやの中、川沿いに点在する民家の煙突から煙が立ちのぼっていた。Sバーンの終点で向かいに停車していた2両編成の列車に乗り換え、7時17分Decinに到着。出発を待っていたプラハ行きの急行に乗り換える。こちらは全車両見事な古ぼけ方をしたコンパートメント車両で、ビニールのような茶色のシートに腰掛けると、80年代にタイムスリップしたかのようであった。 80年代を彷彿とさせるプラハ行きの急行列車 |