[ 80年代バックパッカーの風景]

とりあえず「バックパッカー交遊録」と仮題を付けてみたものの、「交遊」は大袈裟かも知れません。

旅は出会いと別れの反復なので、中には強く印象に残るものある、その個人的記録です。

「忘れ得ぬ人々」(国木田独歩)というのもありますが、あれはまた高尚典雅というか独特の世界だからなあ。

 

SCENE 10 トレドにて  (1984年1月)

 

トレドは、ある程度の規模を持つ中世都市がそっくりそのまま残っているという点で奇跡と言って良い町だと思う。北部ヨーロッパにはブルージュなど素晴らしい中世都市があるが、現代の生活に取り込まれて多分に「美観地区」的である。フランスの諸都市では到底太刀打ちできないし、匹敵するとなるとイタリアのヴェネツィアとかシエナといった超エース級ということになるだろうか。しかも首都マドリッドから列車で1時間余というアクセスの良さであり、トレドは観光客であふれかえることになる。

 

列車がトレド駅に着くと、スペインによくあるパターンで、鉄道駅は町外れにあって駅前はからっぽであった。マドリッドから乗り合わせた私を含むバックパッカー5名はこっちだなどと見当をつけて歩きだし、古都の入り口となるアルカンタラ橋に差しかかる。そこから先は迷路的都市であるから、我々は橋の上で町の造りについてああだ、こうだと意見交換。と、そこに観光を終えた日本人観光客が通りかかって、どうぞと親切にも地図を渡してくれた。これをきっかけに我々は解散、地図はカナダから来た女の子にあげて、各人好きな道を選んで町の中に入っていく。

 

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トレド風景

 

トレドは3方向をタホ川に囲まれた台地に立つ。

限られた土地にぎっしり建物が立て込んで独特の光景を作る。

一方、タホ川の向うは荒地が広がるばかりで、その対比が良い。

 

この川はイベリア半島を西に流れに流れて、

リスボンで大西洋に注ぐ。

 

 

 

 

歩いているうちにのどが渇き、バルに入ってサングリアをカウンターで一杯、テーブルに移動して2杯。ノートを広げて旅日記を書いていると、昨夜同じオスタルに泊っていたらしい中年のアメリカ人が、しばらくしてこれもアメリカ人と見えるカップルのバックパッカーが声をかけてきて、それぞれ少し話をする。トレドでは旅行者、特にアメリカ人によく声をかけられた。旅行者密度の高さといったものもあったかもしれないが、スペイン人の多くが英語を話さないから、ついその反動で、お互い、すぐにそれと分かる旅行者同士話したくなるものらしい。

 

日が暮れて、宿のある地区に戻り、広場の肉屋でハムを買っていると若いアメリカ人に話しかけられる。端正な顔立ちの彼は、服装も小ざっぱりしていて、始めバックパッカーと見えなかったが、実は典型的な貧乏旅行者で、地面に絵を描いて小銭を稼ぎながら旅を続けているとのこと。今晩も小雨ぱらつく中テント泊まりだそうだ。広場に腰掛けて互いの旅の話などしていたが、夜も更けて話題も一巡するとじゃあそろそろということになる。握手した後の別れ際、野営地に向かう彼が残した“So long!”という言葉に余韻がある。“Good-bye”とニュアンスがどう違うのか正確なことは知らないのであるが、何となく「元気でな」という感じがあって、旅行者同士の別れの挨拶にふさわしい。去って行く彼の後姿に「君も元気で」と思わずつぶやいてしまう感じであった。

 

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