[ 80年代バックパッカーの風景]

とりあえず「バックパッカー交遊録」と仮題を付けてみたものの、「交遊」は大袈裟かも知れません。

旅は出会いと別れの反復なので、中には強く印象に残るものある、その個人的記録です。

「忘れ得ぬ人々」(国木田独歩)というのもありますが、あれはまた高尚典雅というか独特の世界だからなあ。

 

SCENE 3  SABINEJIM ASP  (1982年8月)

 

欧米人バックパッカーというのは、髭面に長髪、百戦錬磨といった風貌の人が多くて、ともすれば近寄り難い感じがあった。私のそんな固定観念を変えてくれたのが、ハンブルグから来たSABINEと米国人JIM ASPである。

 

フロムのドミトリーペンションSvingen Herergeの部室に戻った時、これ飲む?と笑顔でミネラルウォーターを差し出してきたのがSABINEとの初対面。私は部屋には余りいなくて、ペンションを出てすぐの水際、フィヨルドのV字谷を目前にする小さな場所を好んで、食事をするときや散歩に飽きたときなど大体そこにいた。夕刻、通りかかったSABINEが私に気付いて降りてくる。彼女もこの場所がいたく気に入って、our placeと呼ぶことになったその場所でずっと話しをしていた。SABINEは向う岸の方で泳いできたといったが、ドイツ人らしくナチュラリストというのか、自然愛好の傾向が強かった。私も靴を脱いで塩の味の全然しない海水の中に入ってみたがその冷たさに、よくもまあ泳げたものだと思った。

10時頃になると北欧の夏の日もようやく落ちていく。向こうから近付いてきたフェリーボートが目の前を通り過ぎて23分後、鏡のような水面にちょっとした波が来る。我々は叫び声を上げて上の道に逃げ、our placeは波に洗われた。同じことを昨夜体験していて、全ては昨日と同じなのであった。道路では宿泊者が数名出て来ていてギターをひいて歌っていた。誰かが、この辺でたくさん採れるのだという赤い実を食べさせてくれた。

 

翌日はSABINEMyrdalの近くにあるという2つの湖に出かける。このときフロム鉄道で乗り合わせたのがJIM ASP。彼はMyrdalまで行って、そこから徒歩でフロムに戻るということであった。昨夜は近くの農地で野営した由。車内から向うの斜面を指して、あそこに見える青いのが俺のテントだと教えてくれた。 SABINEと私はMyrdalのひとつ前の駅で下車して、2つの湖を訪れた。2つ目の湖が素晴らしい。廃屋が点々とし、水の色はグリーンがかっている。湖の中ほどに突き出した小さな半島の先端までヤブをかき分けたどり着く。天気にも恵まれて美しい光景であった。SABINEはやはり泳ぎたがったが、水は余りにも冷たく、さすがの彼女も断念。

 

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第2の湖とSABINE 

残念ながらJIMの写真は彼が送ってくれた一枚

しか残っていない(共通編表紙の写真)

 

 

 

フロムに戻って、キオスクでパンを買ってour placeで夕食。その後JIMの野営地“his place”を訪問する。駅の近くにキャンプ場があるのだが、彼はそこを使わないで、少しMyrdal方面に戻ったところにある滝の下に小さな台地を見つけ、そこに青いテントを張っていた。Farmerに断ったところ、火器厳禁、ゴミは持ち帰る、という条件で使わせてくれたそうだ。彼はten minutes walkと言っていたが、30分は優にかかって到着。彼は長距離ハイクを果たして眠っていた。やがて同じように近くに野営しているドイツ人のカップルも加わって5人で車座になって話している。向うの山の端夕陽に照らされていたのが消え、空が青さを増してくる。自然の中のhis place はそこにいるだけで充足感の味わえる場所であったが、蚊が多いという現実的問題に勝てず、真っ暗になる前にJIMにおやすみを言ってペンションに戻った。

 

関連ページ : フロム

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