[ 80年代バックパッカーの風景]

とりあえず「バックパッカー交遊録」と仮題を付けてみたものの、「交遊」は大袈裟かも知れません。

旅は出会いと別れの反復なので、中には強く印象に残るものある、その個人的記録です。

「忘れ得ぬ人々」(国木田独歩)というのもありますが、あれはまた高尚典雅というか独特の世界だからなあ。

 

SCENE 12 コルドバにて  (1984年1月)

 

場所や時間、周りの様子などに気をつけていれば、ヨーロッパのひとり旅で危ない目に合うことは多分ないと考えています。それで“基本はセルフコントロール”と共通編の「治安・トラブル対策」に書いた訳です。概ね用心してきましたが、一度だけノーガード状態になったことがありました。

 

 

そもそも出会いからしてかなり異様な状況であった。夜行列車がコルドバについたのが朝4時。ヨーロッパの冬は夜明けが遅いから未だ深夜の空気である。シュラフ(寝袋)を持っていたから朝までひと眠りと下車してみたものの、外はひどく寒く、野宿するどころではない。幸い、駅の待合室が開いていて、入ってみると薄暗い中で何人か朝を待っていた。シュラフをかぶって横になり、さあ眠ろうと目を閉じたが、どうも様子が尋常でない。気の狂ったようなのが何人もいて、相手構わず大声でまくしたてるわ、煙草や金をせびりに来るわで、大変なところに飛びこんでしまったのである。もっとも相手にしなければそれ以上は何もしないということが分かったので、何も聞こえないことにして1、2時間眠る。待合室の中に20代のバックパッカー、イギリス人のデイヴィッドがいて、後で彼と、あのなかで正常だったのは俺たちだけだったな、と言い合ったのであった。

 

マドリッドからの夜行列車が到着して、新たに2,3人待合室に入ってくる。その中で私に声をかけてきたあごひげの男は、話し振りに警戒心が働いて、初め素っ気なく応答していたのだが、やがて普通の旅行者だと分かる。彼はジョージと名乗り、シリア人で、今はポーランドで大学の先生をしているとのこと。8時になると掃除のおばさんが来て、待合室にいた全員が追い出される。この中で普通の旅行者という共通点を持ったデイヴィッドとジョージと私の3人は、barに移動。こちらは開店したばかりで空気が冷え切っていて凍えた。話しているうちに、今晩宿をシェアしようということになる。ヨーロッパでは、一人でも二人でも部屋代はたいして変わらないということが多く、部屋をシェアするのは節約術のひとつなのである。9時になってようやく夜が明け、街に出る。

 

317.jpg1984年1月

コルドバ メスキータ

オレンジの中庭で塔を見上げる

 

コルドバはオレンジの街路樹が印象に残る。

 

メスキータの中庭もオレンジの木が立ち並んでいて、

ジョージはこの庭のオレンジを2つもぎ取り、

1つ私に渡して寄越したのであった。

彼は、私の目には中年と見えたが、32才とのこと。

専門はアラビア建築とアラビア語だそうで、

メスキータのことなど少し解説してくれた。

 

 

 

午後はひとりで町を歩き、7時過ぎに宿に戻る。宿の前の広場は若者であふれていた。デイヴィッドもジョージもすぐに戻ってくる。買ってきたワインを飲むうちにもっと飲もうということになり、3本(!)買ってくる。さらには、隣の部屋の女性3名(ベルギー人、スコットランド人と3、4才くらいのその娘)も呼び入れてパーティである。私は彼らの英語についていけなくなって、その小さな女の子と遊んでいる。そのうち、ジョージがその女の子相手にコインのマジックを始める。私もジョージもいい加減酔っぱらってきていたのである。

 

面白かったのはここからで、最後のワインが空いたのでジョージが私にもう一本買いに行こうと持ちかける。外に出たが、店はすでに閉まっていて、barに行って交渉し、一本手に入れる。ところが、戻ってみると女性たちは自分の部屋にいて、“もう寝る時間です”と口調が冷たい。仕方なくデイヴィッドの残る部屋に戻って3人で飲み出したところ、すぐにノックの音。女の人たちはデイヴィッドのみを誘い、出て行ってしまったのである。

さあそれから酔っぱらったジョージの嘆くこと嘆くこと。あれがWesternersのやり方だと繰り返す。彼の飲み方、酔い方は日本人には非常に分かり易いものであったが、西欧人には完全に異質であっただろう。我々が相手にされなかったのは、我々がWesternersではないからではなく、我々がdrunkerだったからだ。それを彼に一生懸命彼に分からせようとしたが、互いに酔っぱらっているからまともに話にならない。ジョージは、女の子をひっかけに行くんだ、とかフラメンコを見るとか言って少し外に行っていたが、彼に幸運は訪れなかったようで、じきに戻ってきて、ぐだぐだした挙句、廊下のソファで寝てしまった。

 

翌朝、8時に目が覚める。ジョージとは違い、自分のベッドで寝てはいたが、昨夜の経緯を少しずつ思い出すうちにやがて正気が戻ってきて、いつも文字通り肌身離さず首からぶら下げている貴重品袋のないことに気付き、愕然とする。眼鏡もなくて探しようがない。カメラがあったから、泥棒ではないとは思えたが、何しろ昨夜ドアを開け放したまま眠ってしまったのだ。とにかく暗闇の中ではどうしようもないので、不安な気持ちのまま、明るくなるのを待つ。やがてジョージが案外さっぱりした顔で起きて来て、眼鏡と貴重品袋を見つけてくれる。何事もなくて良かった。いい薬となった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

朝のデイヴィッドの様子が記憶にも、旅日記にもないのですが、昨夜何も無かったかの如く、おはようと起きてきた気がします。深夜に女の人たちと戻ってきて、ソファにひっくりかえるジョージの惨状を見たときの様子を想像するとおかしい。それとも、ただ眉をしかめて横を通り過ぎただけだったでしょうか。Westerners vs drunker 論争も今思うと、ジョージの方に分があったかもしれません。

 

 

関連ページ   コルドバ

      共通編の表紙に戻る  トップページに戻る