パリ礼賛(その2)

 

パリは日々新たに生まれている。パリは生きていて、しかもひとつところにとどまっていない、これが他の町に無いパリのパリたるもうひとつの点だと思います。

ポンピドー文化センターの完成が70年代後半。私が初めてパリを訪れた82年には、ポンピドーセンターはパリの新名所の地位を確立していて、大勢の観光客で賑わっていました。美術の教科書などで見覚えのある印象派の名画は印象派美術館に、それ以前のフランスのというより世界の宝の数々はルーブル美術館に、そして20世紀の現代美術はポンピドーセンターにという大胆にして明快な整理に感心させられました。

この写真がいわずと知れたポンピドーセンター。鉄パイプむき出しの外観は現代アートの殿堂にふさわしいのですが、無節操無定見の東京ならいざ知らず、万事保守的なヨーロッパにあって、これを町のまん中に建ててしまうところがパリなのですね。周辺の景観との不調和は明らかですが、しかし今となればそこに当然あるべきものとして見えてくるから不思議です。(尚、この写真は1982年夏。先日の再訪ではエレベーターのチューブは黄色になっていました。また手前の人々は大道芸人のパフォーマンスに集まった観客。この光景はいつ行っても変わらない。)

 

ポンピドーセンターだけではありません。パリは中世の町ではないということを(その1)に書きましたが、パリの各所に意味有り気に配された数々のモニュメントは建築年代が異なることから、ひどく外観の統一を欠いています。例えば中世建築としてはノートルダム寺院がゴシック建築の手本のような顔をして建っていますが、これに対してモンマルトルの丘の上にそびえるサクレクール寺院の白はかなり異様です。極めつけはかのエッフェル塔。建築中は悪評の嵐だったようで、問)パリで最も好きな場所は? 答)エッフェル塔。なぜならエッフェル塔を見ないで済むパリで唯一の場所だから という有名なやりとりがあります。当時の人々が何たる暴挙と嘆いていたはずのエッフェル塔はいまやパリのシンボルです。

 

パリは変わる、ということは歴史の上での話だけではありません。80年代の後半だったと思いますが、どこかの美術館で偶然目にした小冊子の表紙に「パリ大改造計画」の文字。パラパラとめくってみて、いろいろ書いてある中で最も驚かされたのは、ルーブル美術館の中庭にガラス製のピラミッドを作るというシンプルかつ強烈なメッセージでした。エッフェル塔同様今となっては当たり前のようにしてあるあのピラミッドですが、この時は、何たることをというのが率直な感想で、エッフェル塔建築当時の人々の気持ちの何分の一かを追体験した思いでした。(くどいようだが、何しろピラミッドなのである。異国のシンボルをパリの心臓部に据えるという話なのです。)

 

古い町に現代建築を配するという言葉だけなら、日本のハコモノ行政も同じだが、パリで行われていることはまったくこれと異なる。例えばオルセー美術館。私にとって印象派美術館は宝箱のような感じで、これがなくなること、またオランジュリー美術館とのシンメトリーが失われることが残念であったが、落成したオルセー美術館を訪れてみて、やはりこれで良かったのかなと思い直した。ヨーロッパの大都市の駅は終着駅が多く、終着駅であるがゆえに駅構内に独特のムードがある。これをそのまま美術館にしてしまうというアイデアは、いざ絵画の展示されている光景を目の当たりにすると脱帽するしかないのでありました。

 

もう一つ、バスティーユ広場からリヨン駅方向に行く大通りに沿って延々4キロ(だそうです。私は1キロ余りしか行かなかった)も続く「芸術の高架橋」。下部はアーチ型に区切られた一つ一つがアーティストの工房やギャラリーに、上部は樹木を植えて散歩道になっている。ガラス越しに展示や作業中の姿を一つ一つ見て歩くのは楽しいのだが、経済的、都市計画的にはおよそ無用の長物である。人間にとって優先されるべきものは何かという根本的なところがもう違うのであって、こういうものを作ってしまうセンスは、日本橋に高速道路を掛けてしまった東京とは全然比較にならないと思うわけですね。

 

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