パリ礼賛 (その1)

 

 

80年代初め、「地球の歩き方」に並ぶヨーロッパ自由旅行の参考書に「ヨーロッパ一日4000円の旅」がありました。「5 dollars a day in Europe」という米国の本の翻訳版で、アメリカ人の視点で書かれている分、「歩き方」とは違う角度からモノが見られて新鮮でした。この本は各章の冒頭、都市の概念図をつかむということを提唱しているのが一つの特徴で、この作業は、町の概略を掴むだけでなく、訪問を計画している都市、あるいはたった今到着して歩き出そうとしている都市への期待を高めてくれます。

パリの場合はこんな感じです。

@まずは中央に「へ」の字形のセーヌ川を描き、シテ島(上にノートルダム寺院)、サンルイ島を浮かべる。

Aルーブルからチュイルリー公園、コンコルド広場、シャンゼリゼ、そして凱旋門に至る直線を書き入れる。

Bモンマルトルの丘のサクレクール寺院、エッフェル塔、パンテオン等々重要な建築物を配する。

C鉄路を北から南からパリに進め、終着駅に至る。云々・・・

 

こうしてパリを目の前に構成してゆくと、配置の妙というか、良く出来た町だなあと思ってしまうわけです。あまたの芸術家をひきつけ、突出した都市文化を生み出したパリは、芸術の都パリの通称がありますが、私の印象では、パリそれ自体が芸術作品ではないか、と思われます。このことに関連して以下にいくつかコメントしようと思います。

 

余談1)アメリカ人旅行者は、「5 dollars」(インフレで、当時は「10  dollars」だったか「20  dollars」だったか)か「Let’s go」という本を持っていました。後者はアメリカ版「歩き方」みたいなものでしょうか。

余談2)一年ほど前ネットで旅行関係のサイトを散歩していて、懐かしい名前に行き当たりました。それは「4,000円の旅」の訳者瀧本夫妻のHPで、20年の時を経て今も旅行関係の仕事をされているのでした。

 

@計画都市パリ

ヨーロッパの町の景観のあり方、魅力は、それが中世都市であることによって決定的である。これは、ヨーロッパ全土にわたって共通のことだと思うのだが、パリのみが異端者として異彩を放つ。迷路のように入り組む細い暗い小路も城壁もパリには無い。私は高校のとき世界史に落ちこぼれてしまったので経緯が分からないのだが、パリの人工的な作りは後世のものであると思う。中世が人間的、人間サイズであるのに比べ、パリの真っ直ぐに伸びる大通り、スカイラインを揃えた高い建物は近代的風景を作っている。パリはプラスティックの造形のようである。カフェや街角に見るパリジャン、パリジェンヌの格好よさにしばしば感心させられるが、生活感を感じさせない彼らの姿にもプラスティックを感じる。

 

A均一のスカイライン

初めてパリに来た時に強く印象に残ったものの一つがこれ。パリの建物は大抵7階建てか8階建てで、スカイラインが整っている。最上階は一様に鈍い金属的な灰色の「ふた」をかぶせている。道一つだけならどうと言うことも無いが、どの街角に立っても同様の光景を目にし、やがてパリ中がこうなっているかと思い至ると造形への執念を感じたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真はHOTEL GEY LUSSACの最上階(7階)の部屋から撮ったGEY LUSSAC通り。突き当たりはサンミッシェル通り。自分も「ふた」の部分にいるわけである。高級ホテルだと最上階はいい部屋ということになるのだろうが、パリの安宿では最上階は即ち屋根裏部屋であります。

 

 

B記号都市パリ

中世色が無いということと関係するのかもしれないが、パリの特徴の一つは宗教色が薄いことではないかと思う。もちろん、ノートルダム寺院を始め教会は至るところにあるが、他の町の比べて歩いていて宗教を感じることが極端に少ない。それは多分、他の町では教会がシンボルとしての役目を果たしているのに対し、パリでは、教会を含む多くの建築物が、何かの意図を持つかのように町の各所に配置されているためだと思われる。エッフェル塔も記号、サクレクールも記号であり、教会も記号の一つになってしまっていると思うのである。

 

Cカルチェラタンへの道

4,000円の旅」のパリの概略図で気に入っているものの一つが、東駅からカルチェラタンに至る直線。凱旋門―ルーブル間の直線とはほぼ垂直の位置関係にある。東駅から南南東に伸びる大通りは、地区によって名を変える。北からストラスブ−ル通り、セバストポール通り、シテ島上はパレ通り、セーヌ左岸ではサンミッシェル通りとなる。サンミッシェルがサンジェルマン大通りと交わるのがクリュニュー交差点。この一帯がカルチェラタン、あるいはソルボンヌ(パリ大学)である。

この位置付けが気に入って、一度実際に東駅からカルチェラタンまで歩いたこともありました。尚、サンジェルマン通りは両端が上方に曲がっていて、いずれもセーヌ川にぶつかって止む。クルニューを中心にしてみるとトヨタのマークの様です。

 

Dルーブル−凱旋門間

パリの造形のハイライトがこれ。直線3キロにわたる左右対称図形。ルーブル宮中庭のガラスのピラミッドからルーブル宮はずれの小凱旋門へ。ここから凱旋門方向を見ると、コンコルド広場のオベリスクを挟んで、真っ直ぐ3キロ先に凱旋門がシャンゼリゼの熱気か排ガスのせいか揺らめいて見える。ルーブルはセーヌ沿い、凱旋門はセーヌから一キロ以上離れているから、凱旋門にかけて徐々に川から離れていく訳で、きわめて緩やかに道は上っている。そのことが3キロを一望することによって分かり、空間図形の妙を実感する。

この一直線の途中、チュイルリー公園のコンコルド広場側にかつて印象派美術館とモネの睡蓮を擁するオランジュリー美術館がやはり対称図形をなしていた。建物自体は残っているものの、オルセー美術館の完成により印象派美術館の名画がそっくり引っ越してしまい、対称性の一角が崩れたのは残念であった。

 

Eパリの街路図

計画都市パリの街路図は理知的である。誰がデザインしたのか知らないが、さぞや楽しい仕事だっただろう。エトワール広場(凱旋門)から30度置きに12方へ広がる道、エッフェル塔と対峙するシャイヨー宮、雫を逆様にした形のリュクサンブール公園周辺の道。セーヌ川にかかる橋と右岸左岸の道との繋がりを確認するのも楽しい。パリはメトロで歩くのが基本。歩きまわって全体像を掴もうとするにはさすがに大きすぎるのだが、街路図を用いて巨視的に見ることでまた違った魅力を発見出来るのではないかと提案します。

 

  前に戻る   パリ礼賛(その2)へ