フランスのこと、パリのこと

 

◇イメージと現実の差

典型的な「ヨーロッパの街角」といえば、まず頭の中に浮かぶのはフランスの街角、あるいはひょっとするとフランスの町はこうだろうと植えつけられている街角なのではないだろうか。私の体験では、子供の頃見たテレビアニメの「ルパン三世」(昭和50年頃の初回シリーズ、その後のシリーズは絵の質が落ちた)。舞台設定は日本である筈なのに、ルパンらが活躍する町はしばしば、どうみてもヨーロッパ的フランス的で、成る程あれが外国かと強い印象を受けたことでした。

ところが、自分の中にある「ヨーロッパ」をフランスに求めようとしても、なかなか、ここという適当な町が浮かばない。例えば、小学生時分(本物の)アルセーヌ・ルパンの活躍を夢中になって読んだから、ブルターニュとかノルマンディーとかいう言葉には心をくすぐられるものがある。ブルターニュ半島の鄙びた漁村に一週間でも滞在して、白ワイン飲んで海を見て過したいなと思うが、一片のイメージとしてはいいかもしれないが、いざ実行すればただ退屈なだけということが想像できてしまうので、実行する気になれない。

一人旅というのは、感性が必要である。ジーンズの尻ポケットに文庫本をねじ込んでぶらりと旅に出る(五木寛行的世界あるいは70年代フォークの世界ですね)というのはかっこいい。各駅停車に乗って、気に入った町で途中下車して、風に吹かれて歩くというのもかっこいい。かっこいいけれども、やってみて楽しいものではない。自己満足はできても、大抵、退屈なだけである。余程のインスピレーションにでも恵まれない限り、しみじみと感動する幸運は滅多に訪れないのである。

フランスの町も似たところがある。イメージは膨らむが、いざそこに立つと平凡で退屈だ。「フランス」はイメージの中にしか存在しないのでは、と弱気になってしまうのである。

 

◇鈴木成高著「中世の町―風景―」(東海大学出版会)から

フランスの町について、鈴木成高氏の述懐は次の様である。

「フランスには中世都市として語るに足るものが、きわめてすくない。むしろないと云い切ってしまったほうが、はっきりしていいのかもしれない。」「その多くのものが、起源を中世にもつ、しかし中世都市だとは言えない町なのである。」「ガイドブックなどで中世的という形容詞をつけられているフランスの町は、案外ただの田舎町にすぎないものが多いのである」と断じ、その理由を「自由都市が発展しなかったからである。」「フランスの町は、王侯領主の町であって「市民の町」ではなかったからである。」というところに求めている。

氏の主張には同感できる。氏は、しかしフランスにもいい町はあるとして、ヴェズレ−やアヴァロンに訪れた時のエピソードを書いている。それは、次にフランスに行くときには訪れてみようと思うほど魅力的に書かれているのだが、しかし、少々意地悪く写真をながめるならば、イタリアのトスカーナならばいくつもありそうな町の様だとも思えるのである。

 

◇パリについて

このように捉えにくいフランスという国にあって、パリだけが強烈な個性を放っている。これは奇異といっていい位だ。イタリアで例えるなら、ローマだけがあって、ベネツィアもフィレンツェもシエナもその他数多くの中世都市をも地図上から消し去ったことと等しいからである。農業国フランスにあって突出した都市文化が花開いたパリのことを確か草創期「地球の歩き方」だったと思うが次のように表現していた。

・フランスを2つに分けるとしたら、西と東でもない。北と南でもない。パリとパリ以外である

・パリを訪れる人は二つのグループにはっきりと分かれる。パリに反発心を抱いてしまう人とパリのことなら無条件で礼賛してしまう人とに。

 

フランス編ではこの考えを拝借して、パリとパリ以外という章立てにしてみました。

  (⇒フランス編の章立ては、2008年6月に改編)

 

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