≪2005フランス≫

パリ(2005)

 

まあ今回は着いた日と発つ日と一泊ずつしただけなので、たいした情報もないのですが…

しかし最も強く感じたことは、かれこれパリも10年以上後無沙汰であったわけですが、

基本的には空気は変っていなかったな、ということなのでありました。

 

だから、私にとっては本編の◇パリ◇で書いたパリがそのままあるようなもので、

従って以下は少々気付いた点のみ。

 

 

◇黄色の看板が健在HOTEL GAY LUSSAC 

鍵を受け取って例の螺旋階段を上がろうとしたところフロントのじいさんに呼び止められる。何とおんぼろながらエレベーターが設置されておりました。でも、ドアのノブがぐらぐらしていて安宿の雰囲気は以前のまま。

因みにこのじいさん、間違っても東洋人バックパッカーに営業的笑顔を向ける人ではありませんが、試しに「20年前にもここに泊まったんだ」と言ってみると、さすがにほうと言う顔をしていました

 

◇美術学校前の人気食堂RESUTAURANT DES BEAUX ART

   かつて「4千円の旅」にオープンキッチンの典型的なビストロとしてとりあげられていた店。一時期「歩き方」にも載っていたと思う。以前一度入ったことがあって、気安い雰囲気は良かったものの果たしてこれが旨いかなあと思ったものでした。再挑戦しようとボナパルト通りを行ったが、残念ながら店はなくなっていました。

 

◇オデオン界隈MONSIEUR通り

今回最も驚かされたのがこの通りの光景。なんと両側日本食レストラン(といっても出すのはヤキトリとスシのワンパターン)が建ち並び、戸口では東洋系の顔が通行人に声をかけている。何だこりゃという感じでした。客層は概ねフランス人でそれぞれ何組か入っていましたが、あんなに似た店並べてしまって大丈夫なのでしょうか。

レストランといえば、かつてクスクスなどマグレブ料理をだすレストランがいくつかあったDE LA HARPE 通り。今やイタリアン、中華など入り混じり、観光客で賑わう安レストラン街となっていました。日本料理店までありました。

 

◇やっぱりカルチェラタン

 今回のパリベスト体験を書きます。ようやく夕暮れ時の夜8時、カルチェラタンの裏通りをぶらぶらしていると、小さな店の入り口に人だかりがある。行ってみると小さな部屋に並べられた椅子は満席で、店の奥、男の人のギターで、長い髪の女性が情緒的な歌を歌っていた。トスカーナ民謡のようであった。帰宅途中の人たちが、かばん片手に、買い物袋片手に足を止めてのぞきこんでいたという訳。歌い手の聴衆との自然な感じのやりとりが好ましかった。こういうものに容易に出くわす町なのですね。

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