新市街 ニュー・カイロ

(データ:1987年9月)

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早朝のナイル川

カイロの朝は静かでとても良い

 

◇町のつくり

まず把握したいのがタハリール広場、タラアト・ハルプ広場、ファラキ広場を結ぶ三角形。互いの距離は45百mほど。タラアト・ハルプ広場周辺は大きな商店が並び銀座のイメージ。ファラキ広場の方は屋台に人が群がっていて庶民的な活気がある。この地区はニューカイロの中心部で、裏道に入ると未舗装の道にロバが荷物を引いていたり、裸足の子どもが歩いていてびっくりしたが、まあヨーロッパに近い感じで歩ける。

タラアト・ハルプ広場から北東方向に1km余り進むとアズバキーヤ公園にぶつかる。公園の中は古本や衣類など売る屋台が並び、あちこちのラジカセからフルボリュームのコーランが流れる。この一帯は中心部とは趣が異なり、歩いていると、道端でシャーイをすする男達、水煙草をふかす老人たちが一様にこちらをじっと見ている。声をかけてくる輩もいるし、騒音や悪臭にも苛立たされる。アズバキーヤ公園の南西にあるのが「カイロの台所」アタバ広場。ここから東に延びるムスキ通りを行けばいよいよイスラミック・カイロである。

中心部の西側に流れるのがナイル川。母なるナイルではあるが、カイロでは印象が薄い。川の近くにあるエジプト考古学博物館は、ニューカイロの見学スポットであるが、博物館のガラスケースの中のミイラを見ても仕方ないと思って私は行かなかった。カイロでは、カイロという町自体が見どころであると思う。

 

◇旅行者物価

費用面では今も昔も旅行しやすい国である。例えば市内のバス代は当時10ピアストル(6円)。安すぎて感覚が狂うので、私は10倍して考えていました。「歩き方」09版から現在の値段を少し拾ってみます。

宿代 : 安宿 数百〜千円  中級クラス 二〜三千円

食事代: コシャリ 50円  レストラン 千円程度

交通費: カイロールクソール 夜行列車2等座席車 800円

こうした中で異様なほど突出しているのが入場料金。例えば上記の考古学博物館はE£50(1000円)

 

◇コシャリ屋体験記

コシャリはエジプトの庶民の味であり、旅行者の味方でもある。ファラキ広場近くでガラスの向こうにマカロニを大盛りにしている店があり、思い切って入ってみた。

入り口に座っている男にコシャリというと中に入れという仕草をする。テーブルが4つ5つの食堂。やがて運ばれてきたのはプラスチックの食器にマカロニと米が入り、そこに豆やひき肉やら混じったスープがかかっているもの。テーブルに2種の調味料が置かれていて、適当にかけて食べる。結構スパイスが効いていてうまい。マカロニと米は店頭に盛られているやつであるから冷めているのだが、かかっているスープは熱々で、冷熱同時の奇妙な感覚を楽しんでいた。入口に座る男に金を払って出る。25ピアストル(15円)であった。

◇アクセス

空路のエジプト入りならば着くのは普通カイロ空港。そして市内行きのバスに乗れば一時間もしないうちに混乱と喧騒のカイロの象徴のようなタハリール広場に立っていると思う。

・バスやミニバスの発着場となっていて、あらゆる方向に動く人だけでなく、動かない人(路上で湯を沸かしてシャーイ(紅茶)を飲んでいたりする)も結構いて、凄まじい混乱ぶりでした。タハリール広場の様子は「カイロの男達(その4)」でも少し紹介しています。

・「歩き方」最新刊では「タフリール」広場の表記に変わっている。また、広場より数百メートル北、エジプト考古学博物館の北側に同名の大きな市内バスターミナルができているようで、到着するのはそちらかもしれない。だとするとタハリール広場の光景もひょっとして変わってしまったか。

 

◇まずは宿探しを

エジプト航空が成田/関空―カイロ間をダイレクトで結んでいるが、カイロ到着が深夜になってしまうので、私ならアジア系のキャリアを探すと思う。例えばシンガポール航空ならカイロ到着は朝6時である。入国にまつわる手続きに多少手間取るにしても、午前の早い時間帯にカイロの喧騒の中に身を置くことになる。

経験者の弁としてここに書くのであるが、アラブ世界初体験ならばこのときのカルチャーショックはかなり大きい。そこで私がお勧めしたいのは宿を確保しザックから解放されること。カイロ発の列車の予約や航空券のリコンファームなど初日はやらなければいけないことがある。身軽になって、用事を片付けつつ町に慣れていきましょう。幸い、安宿も中級クラスの宿もタラアト・ハルプ広場周辺に集まっている。元気な人はイスラミック・カイロへと気が急くでしょうが、向こうでは宿は見つかりにくい。

ドミトリータイプの安宿は本当に安い値段で泊れるし、「歩き方」最新刊には日本人がよく泊る宿も紹介されているが、情報収集には便利かもしれないが、少なくとも初日は避けた方が多分無難。私の場合は広場から少し行ったVENNORSE HOTEL(シングルE£15=当時のレートで1200円)に宿泊。朝の8時から部屋を使わせてくれて少し仮眠を取ることができたし、外国人登録もやってくれて、楽をしました。

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VENNORSE HOTELの部屋から通りを見下ろす

 

◇レストラン Felfera

タラアト・ハルプ広場の近く(200m位)にある旅行者が入り易いレストラン。私はビール(ステラビール)が飲めるのと、ライムを絞り入れるチキンスープの味が気に入って3回も入ってしまいました。

ここは当時から「歩き方」に取り上げられていました。10年ほど前の版を見ると苦情が寄せられていて、恐らくは訪れる日本人が多く、店側が横着なことをしていたのかも知れません。最新刊では注釈なしで取り上げられています。レストランはここだけではない訳ですが、あのチキンスープが懐かしく、ここに書いた次第。

 

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