カイロの男達(その2)

 

(以下の文章は大分以前に書いたもの。脚色は無く、旅日記を再構成しています)

 

2。カイロの男達

カイロには、その後四日間滞在した。やはり慣れるもので、イライラさせられることは度々であったが、圧倒されるばかりでなく、その異様さを面白いと感じられるようになった。特に、そこに歩いていたり、つっ立っていたり、座っていたり、物を売ったり、怒鳴り合ったり、とにかくそこら中に大勢いる人間が面白い。モロッコを旅行して、皆が俺を狙っているような気がする、と言った人がいたそうで、僕もタンジールに入ったときに成る程うまいことを言うもんだな、と思ったことがある。ヨーロッパを歩いていてもアラブ人というと何となくうさんくさい印象をもってしまう。ところがここの連中は同じアラブ人でもちょっと違っている。視線もそうきつくないし、どことなく表情や行動に愛嬌がある。男たちの大半は鬚を生やし、大変に立派な、俺は何々族の末裔だぞといっているような威厳のある顔立ちをしているのだが、よく見るとそれぞれに少し間のびしたとぼけた顔をしている。カイロのような都会だと洋服を着ている人も多いが、たいていガラベーヤというあのアラブのひらひらした衣装を着て歩いている。水たまりを渡る時とかバスのステップを上がる時など、女の子がスカートを持ち上げるようにひょいとそのひらひらをつまみ上げるのが見ていて何ともおかしい。

 

この街の異様さのひとつは圧倒的に男だらけであることだ。女性はもちろん見かけないわけではないが、そう多くないしことに若い女性は少ない。男が目立ちすぎるのである。例えばそこら中にある喫茶店、シャーイと呼ばれる紅茶を飲み、水煙草を喫んで時間を潰しているのは皆、男である。そこに女性の姿を見ることは殆どない。ましてテーブルをはさんで恋人同士語り合うという図は絶対にない。イスラムの伝統で街なかでもアベックというものにお目にかからない。その代わり(という訳でもないだろうけど)男の二人連れというのがやたらと多く、手をつないでいたり腕を組んでいたり、日本人の感覚からするとどうも普通ではない。別にホモという訳ではないそうなのだが、小指をからませていたり、いきなり立ち止まって見つめ合っていたりするのを見るとかなり気持ち悪い。そういえばルクソールでこんなことがあった。夕方ナイルのほとりの石のベンチにこしかけ、西岸に沈む夕日を見ていた。エジプトに来て見たいもののひとつであったし、ここまではしつこい物売りも来ないので静かに雰囲気にひたっていたら、そこに二人連れの男がきて僕のとなりに座る。いろいろと話しかけてくるので、適当に返事をしていると、そのうち話しが“ひとりで旅行していて寂しくないか”とか“自由な人生を求めてみないか”といった妙な具合になってきた。かわるがわる話しかけてくる二人のしゃべり方といい目つきといい、ねとっと甘ったるく、さすがに鈍い僕でも気がついて、表現がもっと直接的になったところで立ち上がってベンチを離れた。

 

こういうのは極端にしてもここの男達はベタベタとして仲が良い。ドライバーがしつこくクラクションを鳴らして怒鳴り合っているのも夫婦げんかでもやっているように見える。短い滞在での印象で本当かどうか分からないけれど、ののしりあうばかりで手は出さないのではないかと思う。もし血でも流れることがあれば、やった方がびっくりして事の重大さにオロオロし、さっきまでの怒りはどこへやら、相手を抱き起こしたりするのではないだろうか。旅行者にとってみれば真理は一つとばかりに我が道をつきすすむ欧米人社会に較べると、何だかよく解らないけど、ネトネト・ベタベタのカイロ社会の方が、身の安全に神経質にならなくて済む分楽である。但しこれは女性にとってはそうでもないようで、話をきくと体中触られたとか、後をつけられた、とか大変だったようだ。自分の国の女の子が自由にならない分、外人に目が行く訳で、考え様によってはここの男たちも可哀相だ。女の子と遊べないわ、酒も飲めないわで、男同士たむろしてシャーイを飲んでいる。

 

カイロ市内にて

正面からレンズを向けにくいのでこういう写真ばかりになる

 

牌ゲームに興ずる男達 (宿の窓より通りを見下ろす)

 

ナイル川と西岸に沈む夕日(ルクソールにて)

 

 

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