アルジェリアの宿2題

(データ:1989年9月)

◇アルジェの名門ホテル アレッティ(エス・サフィール)

 

名画「望郷」(ぺぺルモコ)の舞台となった、という形容句がついてまわる名門ホテル。植民地時代に建てられたというアルジェを代表する宿であり、ビザ申請の時も入国審査の時も滞在先住所はアレッティの名を挙げておく。

書いただけで泊る筈のなかったこの宿に泊まることになったのは、私が体調を崩していたからでした。成田行きの京成電車で測るたびに体温が上がり、モスクワ行きのアエロフロート機に乗り込んだ時には39度。モスクワ/アルジェという尋常ではないルートだったので弱っていたのですが、幸運にも隣の席にいたのが、お医者と看護婦の新婚旅行カップル。私の状態を見かねて解熱剤と2,3のアドバイスを与えてくれたのでした。これは大いに助かりましたが、モスクワで一泊して翌朝アルジェに向かった時も復調には遠く、アルジェ市内行きのバスの中で知り合ったタマンラセット出身という大学生が私をアレッティに連れて行き、私に代わって宿泊手続きをしてくれたのでした。

FH000030.jpg

年代物のエレベーター

手動式で自分では動かせず、必ずボーイが乗ってきて操作する

私は最上階に泊まっていて、滞在中何度となく上り下りしたが、

下りるときは、わざわざ上から呼ぶのも気が引けて階段を下りていた

 

FH000017.jpg

アレッティの部屋

テラスに出ると青空が広がっている

復調するまで、結局ここに3連泊

日々、半日はこの部屋で過ごしていたから思い出深い

 

昼でも夜でも窓を開け放って外気を入れるのは気持ちの良いものであった

とくに私が嬉しかったのは、ルームサービスでワインを頼めたこと

イスラム国家でありながらアルジェリア産ワインがありました

 

 

料金(1DA = 18円)

 ツインルーム(一人使用)バス付 一泊250DA

ルームサービス アルジェリアワイン一本 65DA

アルジェリアビール 30DA

 

アレッティは旧名で、このときはエス・サフィールが正式名称

脱仏語政策でもあったのかも知れないが、アレッティで十分通じた

FH010001.jpg

部屋の中だったか廊下だったかにあったブザー

絵解きが面白かったですね

◇シェルシェルのアラブ宿(名称不明)

 

シェルシェルのところで書いた経緯で泊ることになった部屋。一階がカフェになっていて、カウンター脇の階段を上がっていた2階。ドアを開けると中には小さなベッドが二つ。洗面所はなく、裸電球がぶら下がる。

最初にしたことはベッドに防虫スプレーを撒き散らすことでした。ベッドは幅も長さも足りず、足は出るし、転げ落ちそうである。黒白模様の床は、虫が這い、裸足で歩く気にとてもならぬ汚れ具合であった。一泊36DA(650円)の安宿でありました。

FH010005.jpg

アラブ宿の部屋

窓の外は下の道。留め金に洗濯物を干して出掛ける。

宿の前で見上げるとわが部屋わが窓わが洗濯物が見えます。

テーブルの上にあるのは常時持ち歩いていたポリタン。

 

 

FH010007.jpg

番号が手書きされた部屋のドア

鍵が回しにくくて苦労しました

 

 

FH010006.jpg

部屋の前の廊下は数歩進むと途中から天井がなくなる

突き当り左にトイレ(アラブ式)

 

◇アラブ式トイレ実見記(当時の旅日記より)

よく話題にされるように紙がない。水道の蛇口があってバケツが2個。得体の知れない水をたたえている。便器は、正方形で足形に足場のあるしゃがむスタイル。真ん中に小さな丸い穴がある。使用後バケツの水で流すのだが、流れていかないやつもある訳で、傍に立てかけられている棒の先端が微妙に変色していて、すぐにその用途が分かる。這いまわる虫もハエもいるし、足下がびちょびちょになっているしで、慣れないと汚さに負けそう。とはいえ一歩外に出ると太陽の照りつけるOUTSIDEであり、案外臭いもなく、例えば日本の田舎の便所のじめじめした感じにくらべれば、からっとした感じではある。

 

北アフリカ編の表紙に戻る  トップページに戻る