バルセロナ

(データ:1984年1月)

 

◇アクセス

中部ヨーロッパから鉄道でスペイン入りするときイベリア半島の付け根を通る。中ほどはピレネー山脈で通れないから、大西洋側(Irun経由)か地中海側(Portbou経由)かの選択となる。前者はパリ辺りからイベリア半島中央部を目指すメインルート。後者はスイスやイタリアからスペインを目指す場合で、そのまま乗っていれば列車はバルセロナに到着する。

ジュネーブから夜行列車に乗って、翌朝到着したこの町が、私にとっての初めてのスペイン体験。物価の安さ(レストランでのワイン付きフルコース料金も宿代も数百円)、貧しい人の多さ(物乞いや乞食、その他貧しい生業をする者多数)、英語の通じなさ(Excuse me というだけでノーといって逃げてゆく)等々、始めは中部ヨーロッパとの落差に驚き呆れ、これが「ピレネーを越えればアフリカ」といわれたスペインの現実かと思いながら歩いていたことでした。

 

←ご存知サグラダファミリア

当時、あと完成まで200年かかるといわれていました。20年経た今日工期は短縮されたのでしょうか。現在の姿と見比べて20年の成果を検分してみて下さい。

 

◇治安

旅行者狙いの犯罪の悪質化が言われるスペインですが、当時からバルセロナは評判が悪かった。それでも、モンジュイックの丘に市内を一望する公園を見つけ、ぽかぽか日のあたるベンチがいかにも心地良さそうで、一時間昼寝をしてしまいましたが、当時は未だそんな感じでもありました。(真冬の一月に屋外で昼寝をしたのは初めて。さすがは南国スペイン。モンジュイックの丘はその後、バルセロナ五輪の競技会場となり様子がすっかり変ったことと思う)

 

←当時から気をつけろといわれていたゴシック地区(竈の火は有名なカタツムリ料理屋)。しかし、基本的にバルセロナは都会であり、新市街に魅力は無く、僅かに残る旧市街であるゴシック地区に足は向いてしまう。


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