漁村 ナザレ

(データ:1984年1月)

ナザレ名物“フェニキア風”小舟

 

◇84年冬 漁村地区点描

ナザレは大きく3つの地区に分かれていてそれぞれ特徴があるのだが、私の好みは漁村地区

 

・女性の服装

フェルト地に見える黒いダブダブのスカートを穿き、同じ黒のはおりをまとう。こうした民族衣装というのは半ば観光用だと思っていたが、そうでもなく、素朴な感じである。しばしば道でこの衣装の女性とすれ違う。写真に収めたかったが、観光地の空気がないことでためらわれ、一枚も残っていない。野菜などを入れたかごを頭に乗せて歩いている人が多かった。

以上はおばあさん世代のパターンで、おばさん世代だとシルエットは同じでも色彩が変る。若い女性にはこの格好は殆ど見られなかった。洗濯物がひるがえる光景はポルトガルの他の町と同様であるが、ナザレでは例のダブダブ黒スカートが干されていて面白い。

 

・男性の服装

タータンチェックの上下と、三角で上がだらんと垂れ下がる帽子が典型的な衣装なのだそうだが、見る限りその姿は一割もない。浜に立って立ち話などする男たちは殆どハンチング帽をかぶっていて、人間と言うより、“人影”という感じであったのが印象に残る。

 

・海

宿から浜まで3,4分。かなり荒れていて、波しぶきが高く舞い上がっている。この日は空一面暗い色の雲におおわれていて海は土色であったが、この海に似合っていて美しい風景であった。

 

・魚市場

浜に面した道に人だかりのある建物があり、行ってみると魚市場であった。丁度新しいトラックが着いたところで、木箱に入った魚が次々にコンベアで建物内に送り込まれている。日本で見るような魚もあれば、サメのようなもの、口から握りこぶし大の内臓をだしているもの、持ち上げるのにかなり力が要りそうなものなど色々である。建物の中には小さいが階段席があって、民族衣装のおばちゃん達がじっと魚を見ていた。

 

・すべての道は海岸に通じている

浜に立って家並みを見ると、家、道、家、道・・・と並んでいる。日本の漁村にもこの傾向はあって、風景は違えど似ているところもあるのだなと思った。

ナザレの海

◇アクセス

鉄道はVALADO下車。幹線でないから多少不便。さらにVALADO駅からナザレまで数キロあり路線バスはあるものの便数が限られる。私のときは、駅前にタクシーが2台停まっているだけで、駅周辺に手掛りなし。結局、同じ列車で降りて同じように困っていたフランス人女性と相談し、タクシーをシェアしたのでした。

以上は冬期の話でシーズン中は違うのかもしれないが、ナザレにはバスで入る方が恐らく楽だと思う。

 

◇素朴な漁村か有名観光地か

ポルトガルの中ではリスボンに次いで知名度があるのではないかと思われるナザレである。しかし独特の習俗を持つ“素朴な漁村”ナザレも、有名観光地であるがゆえ夏場の浜はリゾート地と化して、旅人のイメージを裏切りそうだ。(大きい町ではないからベッドの確保も大変そう)

 

シティオ地区から漁村を見下ろす

漁村地区からケーブルカーで上るが、乗客は女性が多く、その半数は例の民族衣装。こういうのを見ても(少なくとも冬場は)観光化された印象はなかった

曇り、海は波が高かった

 

◇宿について〜フルペンション体験記

観光客が押し寄せる寒村であるから民宿が多く、町に着けば客引きのおばちゃん、おっちゃんが寄って来る。シーズンオフなら完全な買い手市場である。私は漁村地区のpensaoを当たり、CENTRALという宿に決めた。宿の人とのやりとりの中で、以前より一度やってみたかったフルペンション(三食付)をここでトライすることにした。朝食込み宿泊料550esc+一食380esc×2=1310esc(約2300円)の明朗会計。

料理は質、量共に大満足であった。いかにもメイド然とした若い女性が給仕をしてくれて、食べていると何か一生懸命言ってくるので、よく訊いてみると、もし気に入らなければ別の料理をもってくるが、ということらしい。こんなことを言われたのは生まれて初めてで、慌てて“ボン!ボン!”と言うと、にっこりして“オブリガード”と言った。

とても良心的な内容だったのだが、何より良かったのは、外を歩いていても食事時になると宿に戻るわけで、なんとなく自分の宿、自分の部屋という気安さ、親近感が持てたことであった。私はフルペンション体験はこの一度きりであるが、物価の安いポルトガルでは是非一度トライする価値があると思う。

 

(付記)

・最新刊(06、07版)の「歩き方」を見ると、Pensao Centralが載っていた。位置の記憶から私が泊まった宿らしいが、夏季のみの営業となっている。

 

・どうかと思ったのは食事の量。大皿で来て、自分が食べる分を目の前の皿に取る方式なのだが、どんな大食漢でも食べきれる量ではない。スペイン、ポルトガルではこうして大量の料理が日々捨てられているわけであり、如何にそれがその国の習慣であるとはいえ、この数日前にモロッコにいて、パンの値段が上げられたことで暴動が起きたという話を聞いてきたばかりの私としては、納得しにくいものがあった。

 因みに私は昼食を食べすぎて動けなくなり、胃薬飲んでベッドに倒れこみ、目が覚めたら夕方近かったという体たらくであった。(別に廃棄物を減らそうとした訳ではなく単に美味しくて止められなかったせい)その後せっせと歩いて消化に努めましたが、夕食はさすがに控え目にしました。

 

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