聖地 ファティマ

(データ:1984年1月)

バジリカ

(左肩あたりに聖母マリアが現れたらしい)

◇聖地

聖母マリアが現れるまではありふれた一寒村であった訳で、観光的に見るべきものはない。バジリカも聖地らしい貫禄はあるものの「出現」以降の建造物であるから面白いものではない。

しかし、である。写真には入れなかったが、この広い広場を赤子を抱いた女性がひとり膝をついたまま進んでいた。丁度引き返してきたところで、それで終わりかと思っていたら少し休んだ後にまたバジリカに向かう。一体何往復するのか、終わった時には膝は血まみれになっていそうである。宗教の力はすごいものだ。何を祈願しているのか想像もつかないが、信じる人が報われるといいのだがと思いつつその場を離れた。(尚、バジリカ近くには小さな礼拝堂があって、こちらはマリア像のまわりを膝をついてぐるぐる回るお手軽コースであった)

◇ファティマの奇跡

1917年5月13日、羊の番をする3人の牧童の前に聖母マリアが出現し、バチカンへの3つの予言を託した。第一の予言は第一次大戦の終結、第二は第2次世界大戦の勃発、しかし第3の予言は未だにバチカンが封印しているというあれである。

法王がその秘密を知って失神したというその予言の内容など恐ろしくて知りたくもないが、この件に関連する記事を立て続けに目にしたのでもう少しコメントさせていただく次第。ひとつは、一年くらい前だろうか、3人の牧童の生き残りがなくなったという記事。私がファティマを訪れてから20年の時が経っている訳で、未だ生きていたのかと意外な感じがあった。他の二人は奇跡の直後に亡くなっているから、長い間、気の毒にも一人で秘密を守ってきたことになる。

もう一つはまさに今日、2006年1月13日の朝刊。前ローマ法王ヨハネ・パオロ2世を狙撃した犯人が出所したという記事。これは1981年5月13日(同じ日付という訳ですね)の出来事で、奇跡的に回復した法王は聖母マリアの御加護の為としたそうだ。

 

 

◇アクセス

ポルトガルの町に多く言えることだが、鉄道は不利。ファティマへはバスで入る方がよい。私はナザレから入り、コインブラに抜けたが、リスボンをはじめ各都市から便があるようである。

 

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