[ 80年代バックパッカーの風景]

とりあえず「バックパッカー交遊録」と仮題を付けてみたものの、「交遊」は大袈裟かも知れません。

旅は出会いと別れの反復なので、中には強く印象に残るものある、その個人的記録です。

「忘れ得ぬ人々」(国木田独歩)というのもありますが、あれはまた高尚典雅というか独特の世界だからなあ。

 

SCENE 8  黒長コートの男  (1984年1月)

 

ローマのペンシオーネKATTYの宿泊客の中に、普通の旅行者とは明らかに違う、ちょっと特異な雰囲気の日本人がいた。私などは夜、中央の部屋の大テーブルに着き、せっせと同宿者との親善に努めていたが、彼は大抵、夜遅く帰館し、無表情のまま自分の部屋に向かう。気後れしてコミュニケーションを拒むというパターンではなく、初めから他の旅行者に関心がないようであった。この男は、常に黒い、長いコートを着ていて、外見からしてひと癖ある感じであった。

このペンシオーネでは、宿主のおばさんの意向で、ちょいちょいベッドを変えさせられる。ある晩、この男とベッドが隣になったので、無理矢理話しかけてみた。何でも2年前に日本を出て、ニューヨーク、パリで働いてきて、ローマでも仕事を見つけようとしたがうまくいかず、次はベニスに向かう、ということであった。以下は、当時の旅日記に残るこの男とのやりとりである。

 

相当印象的だったものとみえて、セリフまで細かく書き残しています。カッコ内もその時の私の補足や感想であり、概ね日記そのままです。

 

「今までたいてい、11時頃まで駅にカフェにいました。だってここはうるさいから。」(僕らのことだ。もちろん、そういう風に思う人もいるだろう)

「別にたいして決まった本を読んでいる訳じゃない。今読んでいるのは聖書です。」

「モネが分かるのに3カ月かかりました。」(静かな口調でこう言った)

「(0時過ぎの夜行列車が出てしまうまで)カフェで本を読んでいればいいんでしょ。時間を潰すなんてもったいないことだ。最近そう思うようになった。」

「働くといっても無駄に時間を過ごすようでは仕方ない」

「言葉は覚えなかった。要はその気があるかどうかですね」

(フランス人の友達を作りましたか、に対して)「それもその気があるかどうかでしょ。僕はそうしなかった。日本人とも友達にはならなかったけど」

驚くべきは周囲の人間に対する彼の無関心さである。短い会話の中で僕に対してかすかな意志の働きかけを感じたのは、

「いったい何を見にローマにきたのですか」(旅の姿勢に関わることだ)と、

「何日いるのですか」(駆け足日本人旅行者への軽蔑が感じられる)の二つだけであった。

 

 

顔はもう覚えていないが、このようなことを、表情を変えずに、静かな口調で語るのである。今の年齢で会っていれば別の感想を持つ可能性はあるにしろ、やはり一種異様な人物だったと思う。この人が、無事日本に帰りついて、今頃どこかの町で平凡なおじさんとして暮らしていて、子や孫に昔はねなどと語っていたりするなら、それはそれで楽しい想像ではあるのだけれども。

 

 

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19841月のローマ

 

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