[ 80年代バックパッカーの風景]

とりあえず「バックパッカー交遊録」と仮題を付けてみたものの、「交遊」は大袈裟かも知れません。

旅は出会いと別れの反復なので、中には強く印象に残るものある、その個人的記録です。

「忘れ得ぬ人々」(国木田独歩)というのもありますが、あれはまた高尚典雅というか独特の世界だからなあ。

 

SCENE 1  アムステルダムにて(1982年7月)

 

アムステルダムに到着した一泊目はその異様さに縮み上がり、vvv(観光案内所)で手配した宿に宿泊。翌日、戦闘開始と、マヘレの跳ね橋近くのドミトリー形式(相部屋)の安宿に移る。その日の午後、その部屋で出会ったのが西独から来た学生サイクリスト(名前忘却で以下A)。2時間ばかり話をしたが、二十歳であった私は初めてヨーロッパに来て10日余りたったばかりの初心者。欧米人バックパッカーの典型のようなAの話は何を聞いても新鮮であった。彼は彼で、50日で10か国位回る予定という私の話に「そんなに急いだって」と不満そう。しかし私は移動することそれ自体に旅を感じるところがあって、彼我のスタイルの違いがあるのだなということも知った。

 

しかしAは私にもっと大事なことを教えてくれた。アムステルダムの危なさは、私の印象だけではなく、Aは昨夜黒人に囲まれて金をとられたそうだ。私なら落ち込んで、そういうことがあった町にはもう居たくはなく、逃げ出している。しかし、彼は、アムスは危ない、気をつけるんだ、と言いながらも、2時間話した後には再び町に出ていった。夜、もう一人の同室者であるシカゴから来たお兄さんと話をしているところに、Aが今度は強盗の現場を目撃したよと帰ってくる。どうしても話題はこの町の危険さになる。それでも、彼らの話は、どこを訪れて何をするべきかであって、アムスを出ていく話にはならないのであった。

 

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1985年9月、中央駅近くの運河にて 奥の尖塔は旧教会

運河に面する縦長の家の連なりはこの町の基本的景観

 

翌朝、部屋に遅くまで残っていたのはAと私であった。Aが小さな袋を取り出したのを見ると、草の葉っぱみたいなのが入っている。それは若者の間でgrassと呼ばれていたハッシッシで、その後何回も見ることになるこれがその最初であった。ヨーロッパの学生の間ではかなり一般的で、やるべきことがない時に安全な場所でやるだけだから害はないといったようなことを大抵の人が言っていた。見ていると手巻き煙草のようにして作る。お前もやるなら、一本作るよと言ってくれたが断った。

 

Aと一緒に町に出る。旅行者やヒッピー連中など大勢の若者がいるダム広場の先、ちょっと入った路地にあるカフェに落ち着く。路上にテーブルを一つ出しただけの小さな店だったが、2杯目を頼んだくらいコーヒーが美味しい。そのテーブルに座って話を続ける。ひとりで動いていると、どうしてもガイドブックに出ている名所旧跡を訪ね歩く行動パターンになってしまうが、路上に腰を落ち着けて道行く人を眺めていると、自分がアムス人になったかのような自由な気分。こういう旅の仕方があるのだと思った。

 

やがて、先にこのテーブルに座っていた浅黒くヒゲをはやしたモロッコ出身という男が話に加わる。話はあちらに飛び、こちらに飛んだが、中でもイギリス人の尊大さを茶化したり、フランス人のエレガント(ここを強調して揶揄)な言葉の話など、ヨーロッパ人の他国人に対する評価が見えて面白かった。何しろヨーロッパ旅行初心者の私には欧米人は全て同じガイジンであったのだから。この男、30か40か私には年齢の見当がつきかねたが、モロッコを出て以来あちこち流れ歩いてきたそうである。彼のアムス観(opened town としてのアムステルダム)も興味深かったし、どの土地に行っても、人のメンタリティとビヘイビアをよく見るんだという忠告にも説得力があった。メンタリティをモンタリティ(今ならフランス式の発音と分かる)と発音するこの男の横顔が、短くなったタバコを持つ指などと共に今でも思い出される。

 

Aと一緒でなければ、一見得体の知れぬこの男と話す機会はなかっただろう。日本の旅先でも誰かと知り合い、親しく話すということは日常的にある訳であるが、年齢とか職業とか、相手が何者であるか、自分との距離感はどうか、といったことを確認しないと何となく落ち着かないところがある。人の行きかう裏町の路上のカフェに居合わせただけの他人と会話の中で話の合う相手かどうか感じとり、何の気負いもなく親しくなるヨーロッパ人のコミュニケーション能力の高さには感心させられた。(言葉の問題も大きいが、それ以上に、それこそ“メンタリティ”の問題であると思われた。)

 

Aは私が初めて親しく接したバックパッカーであり、つまるところ、Aから学んだのは自由な旅のあり方であった。一度に消化するには刺激が強すぎたし、長時間英語で話してきたことにも疲れていた。ハッシッシを吸えるカフェに行くという彼らとこのカフェで別れ、Aともその後会うことはなかった。

 

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