血の日曜日事件 ロンドンデリー(イギリス)

(データ:2017年5月)

この町は通常、デリー/ロンドンデリーという妙な名で表記される。

何世紀にも亘ってイギリスと戦っては負け続けたアイルランドの歴史、

特にイギリスの一部に編入される選択をした北アイルランドでは、

今に続くユニオニスト(プロテスタント)とナショナリスト(カトリック)の抗争の歴史を予習してから訪問することを勧めます。

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血の日曜日事件の現場ボグサイドには壁画が点在する

STAND BY THE REPUBLIC”はナショナリスト側のもの

The Republicは、アイルランド共和国を指す)

 

 

Bloody Sunday 血の日曜日事件(1972年)

 公民権を求めるカトリック側のデモ隊にイギリス軍が発砲し、混乱の中で十数名の死傷者を出した事件。IRAのような戦闘集団のことではなく、一般の市民が犠牲になったことで、この町に大きな爪痕を残し、今でも英語側なら“The Trouble”という婉曲語で呼ばれているらしい。

 デリー/ロンドンデリーの名称もそれぞれの立場の住民に配慮したもののようだ。読んだ本の中で、それまでパブで仲良く飲んでいたのが、ロンドンデリーという一語を発したとたん、相手の態度が急変したといったエピソードがありました。

 

◇ボグサイド

 以上のような、重い歴史を持った場所なので何も知らないで行くより、基本的な知識を頭に入れた上で、行くか行かないかを決めた方が良いというのが、一番上に書いたことの意味です。

 

 私は、物見遊山の観光客が、未だ過去の出来事になっていない場所を訪問することの抵抗感があり、及び腰で出かけました。しかし、壁画にしても作品展示のような扱いであり、ぱっと見た目では重い空気はありませんでした。

しかし、その中心にあるフリー・デリー博物館には私は入らず。その辺は、訪問する人の気持ちや興味の持ち方次第でしょう。

 

 IRAテロの印象から、ベルファストなど北アイルランドは危険というイメージがかつてはありました。問題自体は人の心に根深く残っている筈で、人と話す時など、無自覚ではまずい場合もありそう。しかし、一般の観光客として訪れる分には、そう神経質になる必要はないと思われます。

 

◇アクセス

 ベルファストからは、バスでも鉄道でも2時間程度。頻発。

 南のスライゴーやドネゴールからはバスのみ。アイルランド島のバス路線網はなかなか充実しています。

 

◇鉄道で到着した場合

 鉄道駅は、ロンドンデリー旧市街からフォイル川を渡った対岸にあります。到着すると、旧市街横のバスターミナルへの連絡バスが待っています。多くの人が乗り込んでいくので後に続けばよかったのですが、無賃乗車がばれたときのペナルティが大きい大陸での経験が邪魔して、無料連絡バスであることを確認しているうちにバスは出てしまいました。

 徒歩の場合、列車の進行方向に川沿いに進んで橋を渡り、川沿いに戻るように歩くとバスターミナルに至ります。20分ぐらいであったか。

 

◇ロンドンデリー旧市街

 地図を見ると、長径500mほどの細長い5角形。城壁に囲まれていかにも中世都市の平面図。アイルランドには、大陸風の中世都市は残っていないと思っていたので期待したのですが、残念ながら城壁が残っているだけで、その中に中世都市的な要素はなし。聖コロンバ大聖堂にしても、写真を撮る気にもならず、中に入ることもありませんでした。

 なお、この5角形の中、2本のメインストリートが直交しています。その交点の名称は、ここでも The Diamond 。中世においては特別な場所だった筈ですが、今は何の変哲もない交差点でした。

 

◇ギルドホール

 城壁のすぐ外、バスターミナルのすぐ近くに目を引く建物があるのがそれ。地階が、中世期のロンドンデリーが分かる展示施設になっていて、これはなかなか興味深い。古地図を見ると、中世期The Diamond に何か建物があったことなどが分かります。(この施設は入場無料です)

 

 なお、ここからすぐ近く、城壁の内側にタワーミュージアムという博物館がある。こちらは有料の施設で、この町の歴史を紹介する内容も良さそうであった。(私は残念ながら時間がなくて、見学しませんでした)

 

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同じくボグサイドの壁画

CIVIL RIGHT は公民権。これを求める戦いは、過去の記憶ではないのでしょう

 

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