ハ―メルンの笛吹き男 ハ―メルン

(データ:2011年3月)

地図を見れば、ウェーザー川に隣接する直径600mほどの円形、大通りがT字型に交わり、その交点に広場と教会がある、といった典型的な中世都市の配置。笛吹き男の伝説が無くとも訪れてみたい町である。

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朝のメインストリート オスター通り

左の建物はシュティフツヘレンハウス。カフェの椅子を運び出している

その隣、破風屋根の見えるピンク色の建物はハ―メルン博物館

 

◇中世都市の魅力

・オスター通りは町のメインストリートで、立ち並ぶ建物は軒並み立派。小路に面する家との差を見れば、当時の町の権力層、富裕層の勢いが想像されます。

・一つ一つの建物に装飾が施されていて、ディテールを見て歩くのも楽しい。(例えば上の写真の左の建物)

・私は、クライネ通りとベッカー通りが特に気に入りました。

・北ドイツのギザギザの破風屋根は灰色の空にも合うと感じました。地中海ヨーロッパの石の町は明るい陽光があってこそですが、こちらはレンガの茶色のせいか、陰鬱な空も雰囲気を添えるところがあります。

・笛吹き男をモチーフにした「結婚式の家」の仕掛け時計はちょっと良かった。行列の後尾、杖をついた大人を、行くなと子供が後ろから引っ張る。この二人だけが中央にしばらく止り、やがてそのままの格好で後退し、出てきた扉に戻って終了。

 

◇『ハ―メルンの笛吹き男』(阿部謹也)

私にとってハ―メルンはこの本の印象が強く、今回数ページ分のコピーを持ちこみ、阿部謹也が歩いた順に歩いてみた。夏場この町で毎週行われるという野外劇にも、ネズミの尻尾なる名物料理にも、私は興味はありません。しかし、笛吹き男の伝説は、史実としてこの町のその後の歴史に大きく関わっています。ざっと目を通してから訪問すると町の見え方が変わってくると思います。

上記の道順で私が残念だったのは、「十分の一税館」がなくなっていたこと。本に載っている地図と見比べると一帯は再開発されたとしか思えなかったが、今のヨーロッパで路地を付け替えるような再開発事業がおこなわれているとは、ちょっと意外であった。今は存在しないかもしれない「十分の一税館」についての阿部謹也氏の記述をここに転記しておきます。『十分の一税館は、かつての賦役農園のあとで、現在は都市裁判所になっているが、今でも何となく湿っぽい、牛や鶏の匂いが残っているような場所なのである』

◇アクセス

四方から鉄道が通じているが、便利なのはハノーファーからで、ローカル線に乗り換えて50分ほど。日中は30分毎に便がある。ところでハノーファーで駅前に立つと、大きな教会が通りの先に見え、塔の壁面の円形の中に星という装飾が目を引く。数百mは離れているが、はっきり分かるほどの大きさで、ドイツにあるパターンなのかも知れないが、私には珍しく映った。時間に余裕があれば旧市街を一回りしてくるのも良さそうだ。

なお、ハ―メルンという日本語式発音は通じにくいかも知れません。駅窓口で尋ねた際、ハノーファーのハ―メルンかと確認された。また、車内アナウンスは「ハーメン」と聞こえた。

 

◇アクセス(その2)旧市街へ

駅前がちょっと漠然としてつかみにくいが、旧市街は駅を背にして右斜め前方1kmほど先にある。バス乗り場の尽きたところで右手に折れ、突きあたりを左折すると15分ほどで旧市街に至る。旧市街の入り口手前右側に i がある。

 

◇宿について

私が宿泊したのは、 の女性が旧市街最安と断言したノイエ・マルクト通り9番地の宿。City Hotelという名ながら仕組みはペンションで、インタフォンで部屋はあるかと尋ねると、やがて腹の突き出たおじいさんがドアを開けてくれた。旧市街の真ん中の旧い建物で、中世気分を味わうには良い。入り口の鍵も渡してくれるから、疲れればすぐに部屋に戻って休むことが出来て有難い。部屋も朝食もよく、一泊45ユーロは実質的と思う。

但し、経済的な旅を心掛けるなら、選択肢は他にある。この場合、まずでホテルリストを入手することをお勧めします。ドイツ語のみなので少し苦労をするが、ホテルからペンションまで市内各種の宿が、料金を含め一覧できるようになっている。地図で場所も確認出来るからかなり便利。

これを見ると、30ユーロ前後の宿がいくつかある。後から考えるとの女性があれこれ言っていたことはかなり誤りを含んでいて、それを自信たっぷりの目線、断定的な口調で話すから困ったものだ。

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ベッカー通り

『ハ―メルンの笛吹き男』54ページの写真とほぼ同じ位置から撮影

1870年頃だという掲載写真に見える荷車は消えてしまったが、

建物が殆ど変っていないのには驚かされる。

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