カイロ発祥の地 オールド・カイロ

(データ:1987年9月)

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聖ギルギス教会の入り口から鉄道駅を見下ろす

 

◇コプト博物館

コプト教というのはキリスト教の一宗派だそうで、イスラムの国と言う頭でエジプトに来ているから、この地で十字架やらイコンやらマリア像を見るのは意外な感じであった。しかし考えてみれば、太陽神ラーの時代からのエジプト数千年の歴史から見れば、十数世紀前のイスラムの発生は比較的新しい出来事と言えるのかもしれない。博物館の一画には古代遺跡に踏み入ることのできるところがあった。

隣接する聖ギルギス教会も大きなものではないが、エジプト版キリスト教教会という点で興味深い。

 

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エジプト最古のモスク アムルモスクの礼拝所

 

◇廃都アル・フスタート

ちょっと異様な、オールド・カイロならではの見ものである。フスタートというのはテントを意味するそうで、イスラム軍の野営地に因んだ名のようだ。かつてはイスラム王朝の拠点として栄えたが、800年余り前、侵略者の手に渡るのを怖れたイスラム王朝が自ら都市を焼き払ったことによる。以来800年間その姿をさらしている訳で、右上に書いたようにどうも滅んだ都市を片づけるという発想が無かったように思われる。首都であり、国際的大都市であるカイロの中にこのような場所がかなり広範囲に残っているというのが異様である。

今はどうなっているのか知らないが、私が行った時は観光客が中に入って歩き回るような場所ではなかった。当時の「歩き方」には「タカが飛んだり、野犬がいたり、サソリがいたり」とある。

右の写真の中央赤い点のように見えるのは朱色の衣装を着た人。荒涼とした廃都の中を唯一人ゆっくり移動していく光景は印象的であった。

◇アクセス

一番楽なのは、タハリール広場から地下鉄に乗ってしまうこと。「歩き方97年版」によるとタハリールから4つ目が「マリ・ギルギス」。降りればすぐ前が隣り合うコプト博物館と聖ギルギス教会(英語読み聖ジョージ教会)の入り口である。

足でカイロを実感したい体力派は徒歩で。地図を見ると新市街の庶民的活気あふれるサイエダ・ゼイナブやイスラミック・カイロ南端のシタデルから直線距離3キロ位だから歩けないこともなさそうだ。(ただし、暑さ、乾燥、砂埃、騒音、異臭のカイロでは実感は実距離の2倍と覚悟しておいた方がいいかもしれない)

お勧めは、水上バスでナイル川をさかのぼるもの。この船は途中カイロ大学を通るようで乗客の多くは学生であった。右に左に接岸しつつゆったり進む。街の喧騒の中を行くのと大違いで優雅な朝であった。降りたところは何もない、車のびゅんびゅん通る道端であったが、人に道を訊いて小路を進めば程なく線路を越してコプト博物館に至る。

 

◇カイロの歴史

と言っても高校の世界史で落ちこぼれた私の頭には、「歩き方」を読んで知った程度の付け焼刃的知識しかないのであるが、この町の変遷は歴史好きには堪えられないのではないかと考え、ちょっと一言。

というのも、征服者は、自分が征服した町の上に、あるいはその町を壊して新都を建設するのが普通だと思うのだが、カイロでは新たな支配者が既存の都市に隣接して新都を作るということが繰り返されたために、古い町が地層が露出するかの如く平面的に展開しているように見える。オールド・カイロはアラブ軍のバビロン城攻略が出発点になるが、この時のアムル将軍の名を取って作られたのがアムルモスクで、これはエジプト最古のモスクということになる。その後いくつかの王朝の興亡とともに都市は北に延びていって現在の「イスラミック・カイロ」を形成する。城壁が重層的に残り、歴史的なモスクが各所に建ち、カイロは歴史の詳しい人にとっては、その読み解きが楽しい歴史遺産の町でもあると思うのである。

 

 

◇アムルモスク

回廊に囲まれた中庭を抜けて奥の礼拝所に行くと、円柱が並び、絨毯が敷き詰められた堂の奥で何十人の男た立ったり座ったり熱心に祈っている。モスクはカトリック寺院のようなごたごたとした偶像や装飾はなく、単に祈るための場所、言ってみれば道場のような感じだ。

 

 

 

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廃都アル・フスター

 

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