ルクソール(東岸)

(データ:1987年9月)

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HORS HOTELからルクソール神殿を見る

右手前の建物の陰になった場所にオベリスクが立っている

対になっていたオベリスクが一本しかない。

欠けてしまったもう一本は

パリのコンコルド広場に立つあのオベリスクである

 

◇町の把握

ルクソールは鉄道駅が町の中心に近く、位置関係をつかみ易い。駅前の道をまっすぐ500mほど進むとルクソール神殿につきあたる。この周辺が町の中心。ルクソール神殿の向こうにナイル川が流れている。カルナック神殿はナイルに沿って北に3km歩く。

 

◇東岸の魅力

東岸最大の見どころはカルナック神殿であるが、私としてはナイルのほとりに立ち、西岸を眺めるのが良い。真正面に特徴ある形の岩山があり、その向こうに王家の谷があるのだなと思う。特にナイルの向こうに日が沈んでいく夕暮れ時がとても良い。まあ観光用だとは思うが、フェルッカという三角帆の船が岸辺に戻ってきて、人がシルエットになって帆をたたんでいる様子を見ているのも風情がある。

もう一つ、ルクソール駅周辺の夜の風物も良い。街灯が乏しくあちこちに闇が残るなか、土地の人たちが表に出ている。大人数で激しいリズムで踊っている連中は忘我の態であった。一般の観光客はナイル川沿いの高級ホテルに帰還している時間帯である。ルクソール駅前の広場では一日の仕事を終えて戻ってきたガレーシュ(馬車)の御者たちが廃材か何か燃やしていて、闇に高く上がる炎が幻想的であった。

 

◇カルナック神殿について

 まずやはり、ここは観光地である。石造物がどれもこれも大味すぎて感動が薄く、西岸でもっと時間を過ごしたかったというのが私の結論。夜、Sound & Light Showをやっていて仏語だったので内容は全然分からなかったが、ドラマティックな演出はなかなか良かった。

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カルナック神殿のエントランス

◇アクセス

カイロから飛行機、鉄道または長距離バスという選択肢。エジプトという国は予め立てた計画に沿って物事が動くというように出来ていない。いい方向にも悪い方向にも予想外の成り行きをみせるところで、長距離の移動など、もうその時次第という感じである。

安心していると裏切られるし、ダメと思っても救いの手が差し伸べられる。用心しつつ、絶望せず、変化に柔軟に対応する、なんてことはできないから、流れに身を任せる位の気持ちでいた方が良いのかも知れません。私のルクソール往復は次のような経緯をたどりました。

夜行列車の予約をしに苦労して出かけて行ったカイロのラムセス中央駅で切符を売ってもらえず、困った末にタハリール広場に面した旅行代理店で往復の航空券を手配。安堵しつつルクソールに飛んだ訳であるが、到着した翌朝、念のために帰路便のリコンファームをしたところ、君の名前はウエイティングリスト上にあるとの回答。あの代理店は良くないんだ、君をリストのトップに上げておくからということであったが、どうなるのか分かったものではない。すぐに鉄道駅に行って、係員が煩わしそうに追い払おうとするのを、例によって助けてくれる状況が現れて、無事カイロ行きの夜行列車のチケットを手に入れたのでした。

ところでこのカイロ行きの夜行列車であるが、私が入手したのは2等の座席車(3等まである)。エジプト人と外国人旅行者が適度に入り混じっていて過ごし易いし、カイロまで14時間、6、700kmの移動が400円というのがなにしろ有難いのだが、清潔とは言い難い。とりわけトイレは“terribleと呻くしかない状態でありました。(速さと快適さを好む向きには外国人向けの特急列車も走っています)

 

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ナイルとフェルッカの夕景

 

◇ホテル事情

西岸には殆ど宿泊施設は無いので、東岸で宿を見つけることになる。安宿は、ルクソールの鉄道駅とルクソール神殿を結ぶ道の南側一帯にかけて数多くある。ただ「歩き方」09版によると、バックパッカーに名の通った宿のスタッフを自称する客引きや人気宿そっくりに名前を真似た宿が随分存在するようで、注意を喚起している。(しかしどちらにしても安宿は安宿だから受ける印象は五十歩百歩であるような気もする)

私の場合、一泊目のHORSは、ルクソール神殿の前という好立地ながら崩壊した瓦礫の中に建物がある凄まじいところであったし、次のIBIS(これだって有名ホテルチェーンのぱくりじゃないか)も非常にいい加減な男が経営する宿であった。いい加減、というのは客を友達扱いして、嘘をついたり、からかったり、あるいは夜になると飲みに連れ出したりといったことで、部屋自体は清潔であったし、一泊の料金(300円)で次の日の夜遅くまで部屋を使わせてくれるなど大らかなところもあって、私としては違和感をもったものの、こんなこともあるいは一種エジプト流といったものなのかも知れない。


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